元IWGPジュニアタッグ王者のSHOとランチ。釣り仲間のSHOは「オカダさんは本当に面倒見がいい。食事は必ずおごってくれるし、釣りに行く時は車で迎えに来て、餌までつけてくれるんです」(撮影/加藤夏子)
元IWGPジュニアタッグ王者のSHOとランチ。釣り仲間のSHOは「オカダさんは本当に面倒見がいい。食事は必ずおごってくれるし、釣りに行く時は車で迎えに来て、餌までつけてくれるんです」(撮影/加藤夏子)

 米国時代に考えたのが、オカダの代名詞にもなっている「レインメーカー」である。元は映画監督フランシス・フォード・コッポラの映画タイトルで、金を雨にたとえ、雨が降るように大金を稼ぐ弁護士を意味していた。オカダはこの言葉を知り、新日本プロレスでデビューするときは、低迷する新日本あるいはプロレス界を自分の力で立て直そうと決意、「レインメーカー」をニックネームにしようと考えたのだ。

 また、相手ののど元に腕をぶち込む必殺技もレインメーカーと命名。オカダは今や“カネの雨を降らす男”そのものを体現していると言っていい。

 2012年1月、24歳で新日本に凱旋帰国。2月、新日本の絶対的エースだった棚橋弘至からIWGPへビー級のベルトを奪う。以降、オカダの成長と新日本のV字回復の軌道は同じ轍を辿る。

 祖母の代から一家でプロレスファンと言う科学雑誌編集者の寺村由佳理(44)は、オカダはプロレス界の革命児と頬を緩める。

「あれほど上背があって、運動能力が高く、顔が整った選手はいなかった。花道でもリング上でも見栄えがするんです。絶対的王者なのに、試合に負けると大泣きする。そのギャップにキュンキュンしますね。弱いところを隠さない態度に母性本能がくすぐられるんです」

 確かに、初めてオカダと会った時、プロレスラーらしからぬ余りの爽やかさに驚いた。胸板の厚さが分かる白のTシャツにスキニージーンズを穿きこなす姿は、ガタイのいいモデル風にも見えた。そして白い歯を見せながらこう言い切った。

「僕に隠し事はありません。何でも聞いて下さい」

 プロレスには触れてはならない掟があると思い込んでいた。こちらの胸の内を見透かしたような第一声だった。そしてこう続けた。

「僕は野蛮なイメージのかつてのプロレスを変えたい。プロレスの持つ身体表現の可能性を広げ、その魅力を多くの人に伝えたいんです。僕がその入り口になるつもり」

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 11月上旬に大阪で開催された試合に、滋賀県から小学3年生の娘を連れて観戦に来た会社員の堀田徹志(43)は、オカダの身体能力の高さに魅せられプロレスに嵌った。

「技の切れやダイナミックさに惚れ惚れします。一つ一つの技をあれだけ深く見せられるのは、身体能力の高さはもちろん、その裏に隠された練習量の多さが見え、明日から自分も頑張ろうというエネルギーをチャージしてもらえる」

 プロレス会場には外国人の観客も多い。大阪会場に来ていたオーストラリア人のオーエン・ブレンディ(30)は2月に来日したばかりだが、すでに片言の日本語を操っていた。

「オーストラリアにいた時からネット配信で新日本プロレスは見ていました。その中で特にカッコ良かったのがオカダ。オカダのキャラクターをもっと知りたくて日本語を勉強するようになった」

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