常連客に来てもらえるようにと、同じ目黒区の東山に移転することにした。路面店だったため、夜の売り上げも安定した。駅から近くなったことで、新たなお客さんの獲得もでき、順調に売り上げは推移していった。
17年、「八雲」に大きなニュースが舞い込んできた。「ミシュランガイド東京」でビブグルマンを獲得したのだ。「ビブグルマン」はミシュランの指標の一つで、東京の場合、5000円以下で食事ができるコストパフォーマンスの高い店に与えられる。新進気鋭のお店が多数載る中、開店18年目(当時)を迎える老舗が初掲載となった。ワンタンメンで選ばれたのは、東京では初めてのことである。
「ラーメンが高尚な料理の方向にいくのはどうかと思いますが、庶民の食べ物が認められたと素直にうれしかったです」
世界に認められても、稲生田さんは控えめだ。他のラーメン店主との付き合いはほとんどなく、愚直にお店を続けてきた。現在54歳だが、70歳までは現場に立ちたいと意気込んでいる。先日発表になった「ミシュランガイド東京 2020」でもビブグルマンを獲得し、3年連続の選出となった。「八雲」はまだ進化しているのだ。
「くじら食堂」の下村さんは、稲生田さんを職人としての目標にしている。
「自分のラーメンだけを見つめ続けるストイックさを尊敬しています。休みの日もいつもスープ作りをしています。見習うべきところが本当に多いと思っています。9割の人がワンタンメンを注文するお店ってなかなかないですよね」(下村さん)
稲生田さんも下村さんの活躍が刺激になっているという。
「あまり商売っ気がなく、とにかく作るのが好きだということが伝わってくる。真面目に美味しいラーメンを作っています。特に麺が好きです。若い人たちが頑張っていると、我々も刺激になります。出会えてよかった」(稲生田さん)
まさに背中で語る職人。憧れの職人の数だけ次世代のラーメン職人が育っていく。日々進化していくラーメンだが、ラーメン作りの原点を忘れずに成長しているお店は強い。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて18年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho
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