「八雲」はカウンターで12席。店内は広々とした贅沢なつくり(筆者撮影)
「八雲」はカウンターで12席。店内は広々とした贅沢なつくり(筆者撮影)

 半年が過ぎ、いよいよ仕込みを任されるようになる。レシピで気になっていた部分を少し変えて、味を整えた。店長からも、「稲生田さんが仕込みするようになったらお客さんが増えた」と言われ、売り上げも伸びていった。

 2年の修業を終え、いよいよ独立の日がやってくる。初めからワンタンメンを店のメインにすることは決めていた。99年9月、「八雲」はオープン。店名は、稲生田さんの故郷・松江の地名からとっている。ワンタンの漢字表記(雲呑)に「雲」という字が入っていることも決め手だった。

 場所は土地勘のあった目黒銀座商店街を選んだ。近くには「たんたん亭」の兄弟子にあたる「かづ屋」もあり、煮干を分けてくれるなど良くしてくれた。

 開店から3カ月は1日20、30人ほどしか客は来ず、売り上げも厳しかった。恥ずかしがりやの性格が災いし、控えめな看板はふらっと気軽に入れる雰囲気ではなかった。インターネットも今ほど普及しておらず、口コミが広がるまでにも時間がかかった。

 その後、雑誌や年末のラーメン特番で紹介されたことで人気が過熱。次第に繁盛店に成長していく。ただ、少しの味のブレで客足が遠のく現実にも直面した。その度、味に手を入れ、改良していった。

下村さんのお気に入り「エビワンタン麺(白)」は一杯1200円だ(筆者撮影)
下村さんのお気に入り「エビワンタン麺(白)」は一杯1200円だ(筆者撮影)

 売り上げが安定し始めると、今度は近隣住民から行列へのクレームが入るようになった。05年、目黒区の大橋に移転することを決意する。

 建物の2階でオープンすることが気がかりだったため、夜の時間を後輩の焼鳥屋に譲り、「八雲」は昼のみの営業にすることにした。だが、夜は12時までしか営業してはいけないと言われ、「焼鳥屋はとてもやっていけない」と後輩から相談を受け、水土日は夜も「八雲」をオープンすることにした。

 ところが、初日は4人しかお客さんが来なかった。

 当然ながら大赤字だ。近隣につけ麺の人気店もオープンし、「八雲」は絶体絶命のピンチに陥る。

 そのピンチを救ったのは、新たなメニューの開発だった。スープを「白」「黒」の2種類から選べるようにしたのである。中目黒時代から提供していた濃口醤油を使ったワンタンメンに加え、白醤油を使ったワンタンメンも考案した。学生時代のアルバイト先で焼きそばに使っていた白醤油をヒントに味を構成したところ、大成功。「白」が一番の人気メニューに成長し、メディアでも大きく紹介されるようになった。

 だが、不運は続く。水漏れが発生し、何度防水工事をしても直らない。15年、池尻大橋での営業も限界を迎え、2度目の移転を余儀なくされる。

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