■ノリで始めた屋台のラーメンは大失敗!
東急線の池尻大橋駅から程近くにある名店「八雲」。都内屈指のワンタンメンの名店で、創業から20年以上経っても勢いは留まることを知らない。常にどっしりと構え、ラーメン戦争や流行りの波に呑まれることなく、我が道を突き進んでいる店だ。そんな傍からは順調そうに見える「八雲」だが、取材を進めると激動の20年間だったことがわかった。
店主・稲生田幹士(いなうだ・かんじ)さん(54)は島根県生まれ。上京して就職をするが続かず、服飾の専門学校に進学した。学校に通いながら飲食のアルバイトも始め、レストランやバーをいくつか転々とした。
ラーメンが好きで、当時は「ホープ軒」や「香月」がお気に入りだった稲生田さん。27歳の頃、先輩の経営する飲食店でアルバイトを始めたことが、稲生田さんの転機になった。それまでは食べるだけだったラーメンを作ることになる。いざ作ってみると、これが奥深く、ラーメン作りの世界にハマっていく。
ある日、知り合いから屋台カーを譲ってもらう。自分のラーメンで腕試しをしたいと思っていた稲生田さんは、勝算もないまま、世田谷区の三宿でラーメンを売り始めた。28歳の頃だった。
「完全にノリで始めました。場所も悪いし、売れなかったですよ。縮れ麺で動物系のスープだったことぐらいしか覚えていませんが、今考えると、自分でもよくわからないラーメンを出していました」
稲生田さんは、過去を懐かしむように話す。屋台は失敗に終わったが、もう一度ラーメン作りを覚えようと修業を決意。あるとき求人雑誌を見ていると、思わぬ名店の名前が目に飛び込んできた。
「たんたん亭」
杉並区にある「たんたん亭」はワンタンメンの有名店。すぐに応募し、働くことになる。30歳の頃だった。
修業初日に食べたまかないが、稲生田さんの決意を固くする。
「1日でも早く仕込みに関わって、この味を超えるものを作ってやろうと思ったんです」
だが、初めは何をすればいいのかもわからない。ぼんやりしていては気にかけてもらえないと、稲生田さんは店の掃除を始める。誰に頼まれたわけでもなく、毎日店の中を磨き続けた。