いつもたばこを手放さない愛煙家。「僕の家がたばこ屋だったからね」というのが禁煙しない理由だと笑う。酒はやめた。その分できた時間はもっぱら読書に充てる(撮影/慎芝賢)
いつもたばこを手放さない愛煙家。「僕の家がたばこ屋だったからね」というのが禁煙しない理由だと笑う。酒はやめた。その分できた時間はもっぱら読書に充てる(撮影/慎芝賢)

「個人の問題だから彼が判断することだけれど、僕の人生観としては、正直『そこまでとるなよ』という気持ちはありました。そんなこと言ったって仕方ないけれど。フラムに『働きもしないのに高額の年金をもらうのはどうなのか』と言ったら、『個人的なことには使わないよ』と答えました。まあ、彼はそうするんでしょうけれどね」

 一方、東は理解を示す。

「北川さんは保守的な地方で市井の人とつきあってるわけで、そこでオルタナティブな公共空間を作ることに成功している。新しい文化の形を作っているわけです。そのこと自体が反東京・反権威の営みなんだと思うな。文化功労者を拒否してそれを傷つけることはないですよ」

 北川には中央から「辺境」とみなされ、差別され、遺棄された人々への強い共感がある。「アパルトヘイト否! 国際美術展」は沖縄からスタートさせた。瀬戸内国際芸術祭への総合ディレクター就任には、国立ハンセン病療養所「大島青松園」のある大島の参加を第一の条件とした。

 東はこんなことを言った。

「元学生運動の闘士が自分の信念を根づかせる形として選んだのが妻有や瀬戸内なんですよ」

 北川フラム、72歳。彼の本質は今も、高校時代と変わらぬ「政治活動家」である。

(文中敬称略)

■北川フラム(きたがわ・ふらむ)
1946年/新潟県高田市(現・上越市)に生まれる。両親と姉の4人家族。
65年/新潟県立高田高校卒業後、上京。アルバイトとデモで忙しかった。
67年/立川基地の第2次砂川闘争に参加し、機動隊に頭部を殴られ、逮捕・入院。入院生活の間に「絵を描きたい」と思い立つ。
68年/東京藝術大学美術学部芸術学科に入学。ここでも大学闘争参加。
71年/藝大の仲間たちと「ゆりあ・ぺむぺる工房」を設立。演劇・コンサートの裏方から内装・引っ越しまで請け負う。
74年/仏教彫刻史で藝大を卒業。以後、美術や音楽関係のプロデュースの仕事を手がける。
75年/総合誌「天界航路」を発行。
78年/ガウディ展を開催。
80年/出版社・現代企画室を引き継ぐ。
82年/日本・メキシコ合作映画「侍・イン・メキシコ」をプロデュースするが、メキシコの経済破綻で巨額の借金を背負う(その後完済)。(株)アートフロントギャラリー設立。
84年/代官山ヒルサイドテラスに企画画廊「ヒルサイドギャラリー」を開設。後に「アートフロントギャラリー」へ改称。
88年/「アパルトヘイト否!国際美術展」日本開催の窓口となる。
92年/住宅・都市整備公団の立川基地跡地再開発地域アート計画コンペで1位となり、アートプランナーに選ばれる(94年竣工の「ファーレ立川」)。「ファーレ立川」はさまざまな賞を受けた。その後、公共建築のアートプラン、展覧会やシンポジウム、海外との協働プロジェクトなどを手がける。
2000年/第1回「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の総合ディレクターを務める。以降3年ごとに開催。
10年/「瀬戸内国際芸術祭2010」の総合ディレクターを務める。以降3年ごとに開催。
17年/「北アルプス国際芸術祭」「奥能登国際芸術祭」の総合ディレクターを務める。朝日賞を受賞。
18年/文化功労者に選定。
◇『美術は地域をひらく 大地の芸術祭10の思想』『希望の美術・協働の夢 北川フラムの40年』『ひらく美術-地域と人間のつながりを取り戻す』など著書多数。

■千葉望
岩手県出身。早稲田大学文学部卒。佛教大学大学院修了。著書に『旧暦で日本を楽しむ』『共に在りて』など。本欄では、現代美術家の杉本博司・やなぎみわ・会田誠・山口晃らを執筆。

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