土門拳は撮影する場所を事前に弟子に伝える。木村伊兵衛は何も言わない。助手は黙々と師匠の後ろをついてゆく。性格の違いだろう。それに、自分自身でもどこに行って何を撮るか決められない面もある。被写体との出会いから撮影が始まるからだ。
たとえば浅草に行く。観音様をお参りするのだから、信心深い年寄りが多いと予想するが、どんな人に出会えるかわからない。その素晴らしい出会いを求めて眈々と歩き続ける。歩くスピードも速からず遅からず。ときにはウィンドーショッピングをするくらいのスピードで動く。決してあくせくしない。それでいていったん被写体を見つけると、素早く撮影ポイントに迫り、相手に気づかれぬうちに撮ってしまう。
今回の仁王門わきの紳士も、地方から上京したのだろう、礼装し、腰に立派な金の鎖をさげ、ステッキを持つ紳士然とした姿を写している。それは木村が描いた人物像そのものであり、一瞬にしてとらえた腕前は絶賛に値する。驚くことにこの作品は一コマしか写していない。背景の仁王像が浅草と紳士の関係を的確に語っている。
選・文=田沼武能(たぬま・たけよし)
1929年、東京・浅草生まれ。49年サンニュースフォトス入社と同時に、木村伊兵衛氏に師事。アメリカのタイム・ライフ社との契約を経て72年に独立。日本写真家協会の会長を20年間務め、現在、日本写真著作権協会会長。
※『アサヒカメラ』2019年11月号より