「数年前からセントラルキッチンを作り、味を安定させてきましたが、3ブランド以上を回すのは厳しいなと感じました。まずは今いる従業員で2ブランドのラーメンがしっかり作れるように仕組み作りをしています。5店舗に増えるまで味噌はお休みです」(蓮沼さん)
蓮沼さんの今後の目標は新潟ラーメンを日本はもちろん、世界各地に根付かせて広げていくこと。まずは知識を若い職人に伝えていくことが重要だという。
「フレンチ時代から変わらず思っていることですが、日本人は技術や知識をお金に変えるのが下手です。海外にも臆せず飛び出してほしい。言葉が通じなくても、味で思いやセンスを伝えることはできる。良い店がきちんと世界で評価されるようになればと思っています。飲食業に夢を持たせたいんです」(蓮沼さん)
蓮沼さんは新潟のラーメンの良さを伝えるためには、その土地に合うようにチューニングすることが大切だと考えている。現在、海外には清湯のラーメンはそれほど広まっていないが、土地に寄り添えば開拓できる余地はあると蓮沼さんは確信する。
そんな蓮沼さんの愛するラーメンは、新潟ラーメンの大先輩が紡ぐ一杯だ。「我武者羅」で新潟ラーメンを目指すきっかけになったお店で、店主は燕三条の背脂煮干ラーメンを都内に広めた功労者でもある。
■プロ野球選手を諦め、ラーメン屋を開業 元甲子園球児の挑戦
新潟の燕三条に本店を構える、背脂煮干ラーメンの名店「潤(じゅん)」。店主は燕市出身の松本潤一さん(54)。新潟ラーメンの文化を広めるべく、現在都内を含め13店舗を展開している。東京には蒲田、亀戸、武蔵小金井の3店舗があり、燕三条ラーメンを都内に広めたお店としても名高い。
学生時代は野球一筋だった松本さん。中越高校時代は甲子園にも出場。プロ野球選手を目指し、卒業後は神奈川大学に進学した。だが、周りの強さに圧倒され、プロでは通用しないかもしれないと思い始めた矢先、過度の練習がたたり腰を痛めてしまった。これがきっかけで、大学を中退して新潟へ帰ることになった。
高校時代、地元ではスター扱いだった松本さんだが、プロを諦めたと聞いてから、周りにいた人が一気にいなくなった。居心地の悪さを感じていたある日訪れた生姜醤油ラーメンの名店「青島食堂」でふとしたことに気付く。