「水分補給」
「水分補給」

 味噌は高カロリーで保存がきき、山野草の味つけにも都合が良いため、欠かすことの出来ない「はみもの(食品)」だった。容器に入れて持ち運ぶことはほとんどせず、板状に干したり、団子状に丸めた固い干玉味噌が一般的だった。大名家の中には、独自の製法で味噌作りを行うところも多かった。伊達家の仙台味噌、中部地方の八丁味噌、西日本の麦味噌など。今日もこうした軍用食の系譜を誇る御当地味噌が見受けられる。

 塩は現在の我々が知る顆粒状の白塩ではない。焼き固めた薄黒い固型塩を用いた。粉末の塩は湿気を吸いやすく、野外では扱いに苦労するからだ。海岸部に近い大名家では、大きな塩釜で一度に三升ほどの塩を焼き固め、足軽に支給した。一個で一人が五十日ほど使用でき、また戦地では金銭の代わりにもなったという。

 塩と同等、いやそれ以上の利用価値を持っていたのが梅干だ。古来、日本では栽培樹の第一位とされる梅は、果実の食用以外に、染料の媒染(ばいせん)剤、食品の保存剤、血止めにも用いられた。これも戦国武将が栽培を奨励した結果、各地に産地が生まれたが、製造や貯蔵にはある程度のコツが必要だった。時期を見計らった適確な収穫と塩漬け。好天の日を見定めての天日干し。未熟な実は処理を誤ると青酸中毒を起こすため、梅干を漬け損じるとその家が不幸になると言い伝えられた。

 通常三年越しの梅干は味も安定する。クエン酸の効果で疲労回復や食中毒の防止に役立ったが、戦場では貴重品として扱われた。水分の不足する場所で口にすると逆に喉のかわきのもとにもなる。むやみに消費せず、一粒の梅干を何度も眺めて唾(つば)を出すだけにせよ、と『雑兵物語』には書かれている。

 その他、携帯食料には、干し葱・干し牛蒡(ごぼう)・ぜんまい・干しキノコ・わらび粉などがあったが、これらも元々は、飢饉に備えた救荒(きゅうこう)食品として開発されたものだった。(監修・文/東郷隆)

※イラスト/さとうただし

※週刊朝日ムック「歴史道Vol.5」より

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