しかし式次第を通して、徐々に近年のBさんのキャラらしきものがあらわになっていくにつれて、Aさんとその円卓に座る小学校同級生一同は困惑した。Bさんは鼻につくほど軽薄であり、また彼の昔を知っているAさんたちにとっては、それがどうしても無理をしているようにしか見えないのであった。
「特にBの大学の友人がみんなめちゃくちゃチャラくて、式の場を壊しているんじゃないかというくらい騒いでいる。そこに交じっていってはしゃいでいるBの姿を見ながら、席の友人らと『あの頃のBはもう死んだんだ』と話していた。みんな口には出さなかったが、Bの変貌を心底残念がっていた。何しろBは積極的に関わりたいとは思えないタイプの人間になっていたので」
昔との共通項を探しながら今をめでたいAさん一行と、完全なる変貌を遂げて成長した現在の自分を知ってほしいBさんとでは、お互いに期待するものに齟齬(そご)があったのかもしれない。
●自己愛が強い新郎 確かに“お披露目する場”だが…
Cさん(42歳男性)が記憶する中で、最も痛々しい結婚式は次のようなものである。
大学の同期(女性)が結婚をするというので、喜んでご招待にあずかった。相手はCさんが顔と名前だけは知っていた同じ学部の男性だという。この新郎新婦は在学時にお互いを意識することはなかったが、社会に出てからしばらくして付き合うようになったらしかった。要するにCさんにとってはほぼ知らない新郎である。
式の序盤に流されるプロフィルムービーで、Cさんは新郎の経歴を知ることになった。新郎は大学卒業後ベンチャー系の一流企業に就職していて、着実にキャリアを積んでいるらしかった。
「それを見て、素直に『立派な経歴の新郎だ。新婦も安心安泰だろう。めでたいことだ』と純粋に祝福する気持ちでいた」(Cさん)
何しろおめでたい席であり雰囲気もおめでたいから、Cさんとしても「おめでたいことに参加させてもらうし、存分に祝おう」と前向きな気持ちで臨んでいる。その気持ちに暗雲が兆したのはビデオレターが流されたあたりからであった。
「新郎と仕事でつながりのあった、微妙な知名度の有名人からのビデオレターが1通、ドバイから届いた会社の以前の上司からのものが1通、そして新郎本人からの、新婦に向けた“愛している”系のものが1通、立て続けに流された。
最後の愛しているレターは、まあくさくてむずがゆかったけど、本人たちが楽しいのが何よりなのでそこに文句はない。
問題はそれ以外の2つで、どうもこの新郎、自分のキャリアが相当誇らしくて、それをみんなに知ってほしくて仕方がないんじゃないかと。あの高須クリニックのCMみたいな」