■鶏肉の買い出し 店頭に生きた鶏
肉は違うだろう、と電動リキシャに乗って15分ほどのニラに行った。そこは道に沿って商店が並ぶ、このあたりの中心だった。チョドリパラに暮らすのは仏教徒だが、周辺はイスラム教徒のベンガル人の街だから豚肉はない。鶏肉があると教えられていったのだが、その店の前で立ち尽くしてしまった。
生きた鶏だった。
「これを?」
「そうだよ」
村に暮らす。食事をつくる。僕にはその技術がなかった。村での料理は、もち米を臼で粉にするところからはじまる。魚は内臓をとらなくてはならない。鶏をつぶすことができないと鶏肉は食卓にあがらない。僕にはその覚悟もできていなかった。
それでも村の暮らしがしだいにしみ込んできた。一日はこんな感じになっていった。庭の落ち葉掃き→朝食を買いにいく→水くみ→仕事→昼食→昼寝→水浴び→洗濯→夕方の散歩→夕食。散歩コースも決まってきた。土手から対岸のミャンマーを眺め、村のなかを歩く。いつも庭に木が多い家で小休止。すると家の奥さんがミルクティーをいれてくれる。そこで休んでいると、ときに野菜ももらう。どう調理したらいいのか、まったくわからないのだが。
できるだけ料理もつくったが、取り巻く村の女性たちも多く、途中から彼女たちの手に移っていってしまう。
「小学生の料理教室でカレーをつくるときみたい。野菜を切るところは自分たちだけど、後は先生っていう」
阿部カメラマンがレンズをのぞきながら笑う。そのうちにチョーバーシンさんの家や近所から差し入れが届き、思わぬほど豪華な食卓に。6時半になると、村の男たちも集まってくる。手にする小さなペットボトルには焼酎が入っている。彼らは仏教徒だから酒は自由だが、周囲はイスラム社会。こっそりとつくっている。庭に出したテーブルは毎晩宴会である。
『12万円で世界を歩く』リターンズは思わぬ難しさを強いてきた。バス旅を席巻するLCC、大きく変わった登山道、そしてアメリカの物価高。それが30年という年月だった。
そして12万円で暮らす──。アジアの村に入ると意外に難しかった。費用の問題が吹き飛んでいってしまうのだ。それがアジアなのだろう。帰り際、チョーバーシンさんとおばあさんには、合わせて1万タカ(約1万3300円)を渡した。それが村の人たちにはあまり意味のないことだとわかりながら。かかった費用は12万636円だった。
※週刊朝日2019年4月5日号
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■下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年生まれ。新聞記者を経てフリーに。『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)が旅行作家としてのデビュー作。アジアや沖縄などに関する多数の著書がある。AERA dot.では「どこへと訊かれて」を連載中。朝日新聞デジタルの「&TRAVEL(アンド・トラベル)」でも記事が配信されている。
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