バングラデシュ南部には、隣国ミャンマーからロヒンギャ難民が押し寄せていた。バングラデシュ軍の発表では、その数は100万人を超えている。そのほとんどが、バングラデシュ南部のコックスバザール県にできた難民キャンプに収容されていた。
アパートを探してコックスバザールから車で2時間ほど南のウキヤを訪ねた。アパート業者の担当者はこう答えた。
「満室です。難民援助のNGOで働くバングラデシュ人スタッフが入っているんです。NGOは給料が高いですから」
南隣のクトゥパロンに足をのばした。ここにはバングラデシュ最大の難民キャンプがある。街は圧倒されるほどにぎわっていた。
8年ほど前、ここは4、5軒の店があるだけだった。そこにいま1千軒以上の店がひしめいているという。八百屋、魚屋といった生鮮品の店から金細工屋、携帯電話店……。メイン通りから入る路地は迷路のようだ。ざっと見ただけで10棟以上のアパートが建築中だった。ここの業者も空き部屋はないと話す。
「完成するとあっという間に満室。クトゥパロンで商売をする人が借りるんです」
■60万人超の難民 すごい人口密度
許可をとり、難民キャンプに入ってみた。60万人を超える難民が東京ドーム10個分ほどの丘陵地にひしめいている。とんでもない密度だ。60万人というのは鳥取県の人口より多い。
そこは難民キャンプというより街だった。クトゥパロンの街がにぎわうからくりも見えてきた。キャンプ内にはロヒンギャが営む数百軒の商店がある。60万人もいるのだから十分に商売が成り立つ。彼らがキャンプの外の店に仕入れにやってくる。クトゥパロンの店は問屋だったのだ。もうけを狙って、バングラデシュ各地から商人が集まってきていた。
動く金の原資は援助と海外に出た親族からの送金だった。月1千タカ(約1330円)の現金を支給する援助団体もある。難民資格証や援助物資も売買される。
運よく、アパートの一室が空いていた。10日間で5千タカ(約6650円)。食費を考えてもなんとかなりそうだった。しかし大家が首を縦に振ってくれない。面倒な外国人に貸さなくても、すぐにバングラデシュ人の借り手がつく。それが本音のようだった。
家探しが難しい……。12万円の旅とは異質の問題にぶつかってしまった。
そんなとき、チョドリパラという村の一軒家の話が舞い込んできた。クトゥパロンから車で南に1時間ほどの距離だ。なんでもおばあさんがひとりで暮らしているが、近くに娘の家があるので、10日間ぐらいなら……という話だった。家賃は5千タカでいいという。家財道具も一応そろっている。連絡をくれたのはチョーバーシンさんという昔からの知り合いだった。彼はこの家の向かいに住んでいた。