「白血病の疑いがあります。すぐ大型病院に行って検査をしてください」
紹介状を持って、神奈川県内の大学病院で精密検査を受けた。「フィラデルフィア染色体陽性の急性リンパ性白血病」。5年間の生存率は30%未満で、骨髄移植しか完治の道はないと宣告された。
そのまま入院となり、翌日から抗がん剤治療が始まった。ショックを隠し切れないなかで勤務先にそのことを伝えると、見舞いにきた社長から解雇を告げられる。テナントの契約満了まで、後2カ月だった。
40歳を過ぎて白血病、しかも突然無職となり、先が全く見えなくなった。しかし飯野さんには奥さんと3人の子どもがいる。下の子は当時、まだ幼稚園に通っていた。
「絶対に生き続けなくては」
抗がん剤の副作用は想像以上につらかった。髪の毛は抜け落ち、舌はしびれ、体重は30キロも落ちた。厳しい治療の日々に何度も心が折れそうになった。だが、一つの光が差し込む。治療を始めて3カ月経った7月、奇跡的にドナーが見つかったのだ。もちろん成功するとは限らないが、完治にはこの道しかない。8月から無菌室に入り、移植手術を受けた。無事に成功し、順調に回復。11月に退院した。
「治療はただただ苦しかった。でも、ドナーさんが見つかってから、治る道が明確になったように感じて希望を持てました」
闘病中、飯野さんの支えになったのは「家族」の存在だ。
白血病となると本人以上に家族がパニックになってしまうことも多いというが、看護師でもある奥さんは強かった。夜勤のシフトを組んで、昼間は毎日飯野さんの元に来てくれた。長女の高校受験も控えていたが、看病から子どもたちのケアまで完璧にこなしてくれたという。
「家族を支えなければいけないという思いが原動力でした。治すことを目標にするのではなくて、治った後に何をしたいかを描きながら闘えば、絶対に乗り越えられると思います。今この治療に立ち向かわなければ次にはいけない、そんな思いでした」