先月、直木賞に決まった門井慶喜『銀河鉄道の父』は、タイトルから連想できるとおり、宮沢賢治の父、政次郎(まさじろう)を主人公とした長篇小説だ。一人の男子がいかにして「宮沢賢治」となったか、その父の目を通して描かれる。

 政次郎は明治7年に岩手県花巻村に生まれ、学業優秀ながら進学できずに家業の質屋を継ぎ、町議会議員も務めつつ勉強会を開催するなど、誰もが認める地元の名士となる。家庭では厳しい家長としてふるまったが、幼い賢治が赤痢になれば、病院に泊まりこんで看病した。賢治が進学を希望すると迷った末に許し、下宿先から手紙で請われるたびに送金をくり返した。

 会えば厳格なくせに、陰では過保護なまでに面倒を見る。政次郎はそんな父だった。父親とは、〈いずれ股が裂けると知りながら、それでもなお子供への感情の矛盾をありのまま耐える〉存在と自覚していた。

 厳格と過保護。この大いなる矛盾の中で賢治は育ったが、良き跡継ぎにはなれなかった。客の対応は甘く、提案する新事業は夢想に近いものばかり。無職のまま家で過ごすうちに宮沢家が信仰してきた浄土真宗を批判し、日蓮宗派の国柱会へ入った。

 立派な父を超えたいと願いつつ頓挫していた賢治が化けたのは、妹トシの死が近づいたときだった。詩才が言葉をつかみ、次々と物語が生まれてきた。生前は無名だったが、死後ほどなく『宮沢賢治全集』が刊行され、股が裂けかけた元質屋の父は、「宮沢賢治」の父となった。

 政次郎の慈愛に感心しつつ読了した私は、しばらく亡父とのやりとりを回想し、何度も苦笑した。

週刊朝日  2018年2月23日号