しかし作者はそこにも喪失と痕跡を見てとる。イチロー選手の投げる動作には、私たちの中にうっすら残っている「先祖たちが武器を投げて獲物を仕留めていた頃の、遺伝子に眠る記憶」の跡を感じる。だから、投げる動きは私たちをこんなにも興奮させるのだ。
また、バレエは作者の目を通すと、“黄泉の踊り”となる。ロパートキナには、その卓越した身体能力ゆえに、「境界線を深く踏み越えすぎたあまり、こちらの世界に戻ってこられないのではないか、という危うさ」を感じ、爪先が「大地から遊離」した先にあるのは死後の世界だと察している。既に踊り手は死者の国におり、私たちはその残像を見ているのだろうか。
作者は“欠落”も愛でる。ハダカデバネズミの貧相にたるんだ姿に、「動物ならたいてい皆が持っている、長い進化の過程で確立させた完成形としての安心感が、圧倒的に欠落しているのだ」と、どこか感心しているようですらあるのだ。
そこに無いもの、見えないものへの深い感応。卓球を見ては、選手らは「本当は見えないはずのもの」を見て、「一瞬と一瞬の間に潜む真理を射抜いている」のだと考察する。レース編みの手元を見れば、「自分の目に映っているのが、糸そのものなのか、編み目が作り出す空洞なのか」と思案し、「自分はそこにないはずの、空洞を見て綺麗だと思っているのだ」と、レース編みの究極の矛盾に思い至る。
喪失、欠落、痕跡と隣り合わせの随筆の最後に来るのが、赤ちゃんの握ったこぶしについての一篇だ。ここで作者は自分がもはや失った瑞々しさを思うのではなく、「これからを生きる者の未来」を愛おしむ。小さな握りこぶしの中には、一つの世界がある。閃きの石をつめた小箱のような随筆集だ。
※週刊朝日 2023年5月5-12日合併号