翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子さんが評する「今週の一冊」。今回は『からだの美』(小川洋子、文藝春秋 1760円・税込み)。
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閉ざされた秘めやかな空間、失われたものの名残、見えない異界の気配──小川洋子の小説やエッセイにはことさら奇異な言葉遣いはない。むしろごくふつうに見える言葉で綴られているのに、なぜかいまにも別世界への入り口がひらきそうな予感を湛えている。
しかし小川洋子はそんな未知への予感だけでなく、「痕跡」をとらえるのに秀でた作家でもある。軌跡、足跡、傷跡……。「跡」というからには、それは過ぎたり、去ったり、消えたりした何かだ。人か、動物か、ものか、言葉か、時代か、いずれにせよ喪失したものだ。作者はどんなに微かな跡でも見逃さず、物語を紡ぎだす。
わたしがいま手にしている16篇の随筆集『からだの美』にも目の前で躍動し、緊密な動きを見せる身体の美とともに、「跡」がたくさんとらえられている。本書で作者がじっと眼差しを注ぐのは、おもに身体の力を極限まで拡張するプロフェッショナルたちだ。野球の外野手、ミュージカル俳優、バレリーナ、卓球選手、フィギュアスケーター、力士、文楽人形遣い、陸上競技のハードル選手……。
スポーツ選手やパフォーマーだけではない。指先に精神を集中する棋士、あるいはレースを編む人。ほかには、「隙がない」背中を見せるゴリラや、「“しわしわの焼き芋のような外見”」をしたハダカデバネズミなどの動物も登場する。
主人公たちは研ぎ澄まされた知覚と技と、ひたむきな情熱をもつ、達意の人々といっていいだろう(そう、ゴリラもネズミも!)。
ひたむきな達人が見せる身体の軌道には、ダイナミックなドラマがある。イチロー選手が捕球してボールを投げる瞬間の、「細胞のすべてが協力し合い、つながり合っている」ようす。「白鳥の湖」を踊るバレリーナ、ロパートキナの脚が「確かにトウシューズは床に触れているが、白鳥は宙に舞い上がっている。その爪先こそが、彼女と宙を結んでいる」というようす。