と、その時、その老人が語りかけてきたのです。口を開いていないように思いました。英語でGOOD EVENINGと聞こえました。それが不思議なことに、その言葉が英文の文字になって、僕の右側から頭の後ろへイルミネーションのように移動したのです。まるでアニメの文字が動いているようでした。
その文字は右から僕の頭の後ろへ廻って消えていきました。そして次に起こったのは僕の脳に言葉が語りかけてきたのです。何語だかわかりませんが、意味は実に明快に伝わってきました。
「ようこそ、私たちの土地にいらっしゃいました。私は、以前この地に住んでいたインディオで、私はインディオの精霊です。あなたが、こちらにいらっしゃる間は、私たちはあなたの安全をお見守りいたします。どうぞ、いいご旅行を」
と言ってインディオらしい老人の姿は消えて、もとの闇に変わりました。僕はベッドの中で「ヘェー」と思って、そのまま眠ってしまいました。翌朝ホテルの中庭で朝食が始まりました。僕たちの旅行グループは10人くらいいました。昨夜の出来事を話すべきかどうか迷いましたが、朝食後に、近くの博物館を見学することになっていたので、もしや、この辺りにインディオがいたとすると、そのような痕跡があるかも知れないと思ったので、思い切って昨夜のインディオの話をしました。
すると意外に僕の話に興味を持った人たちが何人かいて、インディオの被っていたニット帽があるかも知れないと、僕以上に興味を持って博物館を訪ねました。この土地にインディオが住んでいたかどうか、知っている人はひとりもいなかったのですが、博物館へ行って驚いたのはインディオの資料が沢山あって、インディオの精霊が被っていたニット帽が沢山展示されていました。
黄と赤のストライプのニット帽は見つかりませんでしたが、それに似た帽子は沢山あって、旅行者の仲間たちは喜んで、誰ひとりとして僕の昨夜の異次元体験に疑問を持つ人はいませんでした。翌日は台風に遭って危険なセスナの飛行になりましたが、精霊の言葉通り身の安全は守られました。
この体験は幽霊体験に違いないが、相手が精霊だったので怖くはなかったです。こういう体験ならいつでも大歓迎です。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2023年5月5-12日合併号