6月11日より、芒種の次候「腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)」となります。枯れ朽ちた草がホタルに化生して飛び始める頃、ということですが、かなりファンタジーな記述ですよね。中国発祥の宣明暦には数多く見られる奇想天外な化生の項目(「鷹化為鳩」「田鼠化為鶉」「雀入大水為蛤」「野鷄入水為蜃」)がごっそり削られた日本初のオリジナル暦「貞享暦」は、「腐草為蛍」(宣明暦では大暑・初候)のみは芒種次候として残しました。蛍火は、合理的な貞享暦の編纂者・渋川春海さえをも夢幻の境地に誘ったのでしょうか。ホタルの描く光の軌跡。そのシーズンの幕開けです。

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明は暗より出ずる。「腐った草が蛍になる」とは?

現代の私たちは、草が変身して虫になるなんてことはないと知っていますが、昔の人々は、昆虫・節足動物や両生類などの小さな生き物は、泥水や腐葉土から自然にわいて出てくるものと考えていました。貞享暦以来、芒種の次候として採用され続けている「腐草為蛍」腐った草が蛍になるという考えも、その一種で先述したとおり唐の時代に編纂された宣明暦にすでにその記述があることから、古代より伝承されてきたイメージです。明の時代末期の随筆集「菜根譚」の以下の記述があります。
糞虫至穢、変為蝉而飲露於秋風、腐草無光、化為蛍而耀采於夏月
(糞虫は至穢なるも、変じて蝉となりて露を秋風に飲む、腐草は光なきも、化して蛍となり采を夏月に耀す)
汚らしいゴミの中から湧いたハエがセミとなって秋風にさわやかな露を飲み、腐った草から蛍が生じて夏に光り輝く、と言った意味ですが、汚猥の中から清浄なものが現れ、暗く腐った草から輝きが現れ出る、と自然の理、万物の摂理を語っています。
ホタルが腐った草から化生するという考え方は、ホタルのほとんど全ての種が、幼虫~蛹期を泥土の中で過ごすためです。日本のホタルで代表的な種、ゲンジボタルやヘイケボタルなどの幼虫が水の中で生活する種も、蛹の期間は水から出て土にもぐります。腐葉土を割って成虫が現れ出るのを見て、「腐った葉から生まれた」と考えたのでしょう。

世界的には希少な日本・アジアの水生ホタルは水田環境とともに生きてきた

ホタル(コウチュウ目ホタル科 Lampyridae)といえば私たち日本人は、成虫は水辺の空中に生息し、幼虫は水中で生活する、水辺の環境に適応した生態を自然に思い浮かべます。でも、砂漠地帯以外のほぼ全世界に散らばるホタルの仲間は、そのほとんどが幼虫の時期も陸上で生活する陸生のホタル。幼虫期を水中ですごす水生のホタルはaquatic fireflyと呼ばれ、約2700種いるといわれる世界のホタルの中でも10種類ほどしか知られていません。そしてそのほとんどは日本を含む台湾や朝鮮半島などの東アジア、ベトナムやタイなどの東南アジアに分布し、アジアの湿潤豊富な水環境、とりわけ稲の水耕栽培=水田という環境が、ホタルの生態に大きくかかわって進化したことをうかがわせます。
世界にはさまざまな変わったホタルがいて、近年タイで見つかった新種の水生ホタルは、幼虫期に脱皮ではなく3段階の変態を見せ、棲んでいる池の水が汚れたと感じると陸に上がって新しいすみかを探すという、なかなかダイナミックな性質。また、中国では今世紀21世紀に入ってから、條背螢と呼ばれる台湾の水生ホタルの生息が確認されました。
また、マレーシアやニューギニアでは、1本の樹木に数万匹が集まっていっせいに同期明滅するエフルゲンスというホタルが有名で、ご存知の方も多いのでは。
日本には46種のホタルのうち、ゲンジボタルとヘイケボタル、台湾のホタルと近縁の沖縄固有種クメジマボタルが水生ホタルとして知られています。
これらの水生ホタルはどんなサイクルで一生を過ごすのでしょうか。成虫が6月下旬から8月下旬ごろに交尾をして、水草の根元やミズゴケの間に卵を産みおとすと、約一ヶ月で卵は孵化します。ムカデに似た形態の幼虫は速やかに水の中に入り、ゲンジボタルはカワニナ、ヘイケボタルはタニシやモノアラガイを食しながらゲンジは5回~6回、ヘイケは4回脱皮して約10ヶ月間をかけて成長し、気温・水温が高く、直近で雨が降っていて地面がぬれている夜、満を持して岸辺にあがり、発光しながら川そばの土手や田んぼの堤にもぐりこみます。ゲンジの幼虫は土の中に数センチくらいもぐり、ヘイケは地表付近にツボのように盛り上げて、口から粘液を出して土をかためて「土窩(どか)」という土のマユを作り、その中でゲンジボタルは約40日間、ヘイケボタルは20日間ほど、動くことなく過ごします。これを「前蛹(ぜんよう)」といいます。その後脱皮して蛹になり、約一週間から10日間で羽化します。二日ほどかけて外皮が充分硬くなると、ようやく地上に出てきて、あの飛び交うホタルになるのです。成虫の寿命は一週間から二週間。その間草露を飲む程度で次世代を残す交尾と産卵に費やすことは、よく知られていますよね。ホタルのオスとメスは、オスが五倍ほど数が多く、メスとの交尾の競争率はかなりきびしく、そうした生存競争が、ホタルの発光力や発光のパターンのバリエーションを形作った、ともいえます。

やはり触れざるを得ないゲンジとヘイケ問題。特に無視されがちなヘイケボタルを考える

さて、ホタルというと、やはりゲンジボタルとヘイケボタル、このきわめて印象的な名称についてどうしても言及しないわけにはいきません。何しろ、ゲンジとヘイケという武家の双璧の両氏の名を二つともつけられている種はホタル以外にはないので、気にならないわけがありませんね。
けれどもこの命名は不明なことが多く、定説もまったく定まっていません。民俗学の大御所・柳田國男も、これは源氏ではなく「ゲンジャ」つまり験者、山伏のことだと苦し紛れの説(それなら平家をどう説明しようもありません)を出したりするほどの難物なのです。図鑑でゲンジボタルとヘイケボタルを学名とともに図示されたのは、日本昆虫学の祖といわれる松村松年(1872-1960)の「日本千虫図解」第 3巻(1906年刊)が最初で、それ以前(江戸時代以前)にこの二種をゲンジ・ヘイケと呼んでいたという証拠や痕跡は見つかっていません。
ゲンジボタルもヘイケボタルもかつては全国どこでもよく見られ、ゲンジは日本の起伏の多い山襞の谷を流れる無数の川に、ヘイケは無数の池などの止水域や人が作った田んぼや水路に生息して、各地でさまざまな呼ばれ方をしていました。ゲンジはウシボタル、オオボタル、イッスンボタル、クマボタル、ヤマボタル、コムソウボタル、オニボタル、ヤマブシ、オヤマなど、種の中で大型種につけられる「大」「鬼」「」「牛」などの冠が目立ち、かつ山など人里から離れた自然環境と関連づけられ、ヘイケにはコメボタル、ヌカボタル、マメボタル、ゴミボタル、ジャミボタル、ユウレイボタル、ネンネボタル、ヒメボタルなど、小型種につけられがちの「豆」「姫」などがつけられているほか、糠や米、あるいはネンネや幽霊など、人里の生活と密着した名前も見られます。
ところで、江戸時代の文学を俯瞰してみると、光るホタル(ゲンジやヘイケにかかわりなく)と源氏物語の光源氏に重ね合わせていたようなのです。

ゲンジボタルとヘイケボタル
ゲンジボタルとヘイケボタル

篝火(かがりび)も螢もひかる源氏かな       親重『犬子集』(1633年・寛永10年)
尻は猶源氏といはん螢哉              『毛吹草』(1645年・正保 2年)
などの俳諧発句が作られています。
「源氏物語」の作者・紫式部が石山寺に籠もって執筆したという伝承は、江戸時代ごろには多くの人に知られていて、石山寺がホタルの名所でもあったことから、
石山に源氏の巻の螢狩 式部の跡や追ふ女房たち  吐楽『和哥夷』(1803年・享和 3年)
などという歌も作られています。つまり、江戸時代を通じて、ホタルと光源氏(源氏物語)のイメージを重ね合わされてきた。そして明治に入り、松村松年は日本産の昆虫の名称を網羅するにあたり、日本の固有種で代表的な大きなホタルをあえて「ゲンジボタル」と命名したという可能性があります。となるとヘイケボタルはどうして、ということになりますが、ゲンジと並んで、あるいはそれ以上に多くいて、人々に親しまれているこちらは「だったら並び立つ平家にしようか」ということだったのかもしれません。
夏の夜は螢も照す平家哉    光有
といった句もあり、この平家は武家の貞盛流伊勢平氏の意味と、庶民の暮すようなわびずまいの「平屋」とをかけているものと思われます。松村の名づけの背景には、高貴な光源氏にあやかるゲンジと、庶民に親しまれる平民=ヘイケ、という対比もあったのではないでしょうか。
筆者は、「ゲンジボタルの大きな強い光と比べて弱弱しい光のヘイケボタルを、源平合戦で負けた平氏になぞらえたのだ」という説に同意することが出来ません。そういう人たちはヘイケボタルをまともに見たことがないのではないでしょうか。ヘイケボタルの光も決して弱弱しくなどなく存分な輝きと存在感を持っているし、ぼやーっと飛んで明滅もゆるいゲンジよりも、すいすいと滑空し、星のように盛んにまたたくさまは、より鮮やかだともいえるからです。高貴な雰囲気のゲンジボタルと、明るく親しみやすいヘイケボタル。というふうにとらえると、それぞれの特徴にぴったりのように思うのですが、いかがでしょうか。