今年の3月11日、私は奥野修司『魂でもいいから、そばにいて』を読んで過ごした。

 この本は、ノンフィクション作家である奥野が3年半にわたって被災地に足を運び、遺族から聞いた16話の霊体験を春、夏、秋篇に分けて編んである。圧倒的に多いのが亡くなった家族や恋人が夢に現れるもので、そのほとんどがカラーだという。それだけに故人の姿は生々しく、出口の見えない漆黒の日々を送っていた遺族は、怪訝に感じつつも再会を慈しむ。中には、夢でしか逢えないのなら寝る時間を増やそうと不眠から脱した人もいる。

 他には、壊れている遺品の携帯電話が鳴ったり、メールが届いたり、子どもの玩具が動きだしたりするケースも紹介される。すべて客観的な検証のできない話で、事実を追求する「ノンフィクション」には不向きなのだが、奥野は一人の語り手に最低3回は会うことを自らに課して聞きつづける。まるで話を注ぐ「器」のような存在と化した奥野に対して遺族は心をほぐし、秘めてきた事実を語っていく。

〈人は物語を生きる動物〉

 まとまった取材を終えるたびに奥野はそう実感し、〈最愛の人を喪ったとき、遺された人の悲しみを癒すのは、その人にとって「納得できる物語」である〉と書いている。そのとおりだ、と私も思う。両親の死に目に会えなかった愚息ですら物語を紡ぎ直したのだから、突然の大災害で最愛の人を亡くしたら、不思議な経験をしても少しもおかしくない。人は死者とともに生きる動物でもあるのだから。

 奥野はこれからも取材をつづけ、本作の冬篇を書くらしい。楽しみだ。

週刊朝日 2017年4月14日号