凍るような空気が溶け、春霞の頃となりました。「霞(かすみ)」は気象用語にはなく、「霧」の一種なのだそうです。朝、夕、そして夜。霞は時間や形状によって名を変えながら、春をベールで包んでいきます。日本人の中に時を超えて根付いている、童謡『朧月夜(おぼろづきよ)』にうたわれた風景の秘密とは? ところで、不老不死で知られる仙人は、本当にこの霞を食べて生きているのでしょうか。
この記事の写真をすべて見るやさしい時間が流れる、春は夕暮れ。
『朧月夜』 作詞/高野辰之・作曲/岡野貞一
菜の花畠(ばたけ)に 入り日薄れ、
見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし。
春風そよふく 空を見れば、
夕月(ゆうづき)かかりて にほひ淡(あわ)し。
里わの火影(ほかげ)も、 森の色も、
田中の小路(こみち)を たどる人も、
蛙(かわず)のなくねも、 かねの音も、
さながら霞(かす)める 朧(おぼろ)月夜。
小学生時代を日本で過ごした方なら、一度はうたったことのある曲ではないでしょうか。春、菜の花畑では夕日の光がうすくなり、山の麓あたりには霞が濃くたなびいています。春風がそよ吹き、夕方の月が出てきました。黄色い菜の花をほんのりと照らす空。村里の灯りも、森の色も、田んぼの小路を歩いてゆく人も、カエルが鳴く声も、鐘の音も。なにもかもが、ぼんやりとかすんでみえる春の月夜です。
これは、どこにある菜の花畑でしょうか。作詞者・高野辰之が当時住んでいた 東京代々木周辺(いまは想像できませんが、昔は菜の花畑はどこにでもあったそうです)とも、故郷である長野県の情景ともいわれています。
日本の美しい国土を子どもたちに伝えるべく、この歌が『尋常小学唱歌 第六学年用』に初めて掲載されたのは 1914(大正3)年のこと。当時と現代とでは生活風景がぜんぜん違うはずなのに…この歌を口ずさめば、若い人でさえ「いつかどこかで見た事があるような」菜の花畑が、心の中に広がってゆくといいます。この曲は、平成以降も小学校六年生の音楽教科書に掲載され歌い継がれています。現在も「大人になっても好きな歌」としてあげる人が多いのだそうです。日本人が共通に持っている感性のようなものが確かに存在していて、「春はこんなふうにやさしくかすんでいるのが好きだな」と、心にささやくのかもしれません。
朝に夕に、日本の春には霞がかかっています。『枕草子』の冒頭で「春はあけぼの」がよいと語られていることは、よく知られていますね。そのおすすめポイントは「朝日が昇るにつれて、だんだん白くなっていく山際あたりが少し明るくなり、紫がかった雲がほそくたなびいている」ところ。清少納言もまた、「霞んでたなびく情景こそ日本の春にふさわしい」 と感じていたようです。
霞(かすみ)は、夜になると「朧(おぼろ)」と呼び名が変わります。1番の「かすみ」から 2番の「おぼろ」へ、風景は夕闇に包まれていきます。この歌は、夜へと流れる時間がうたわれているのです。「にほひ」は、古くは視覚を表現する言葉で「色合い」という意味でした。耳でとらえた音さえ淡くかすんでしまうような春の宵。どんな「朧月」が出ていたのでしょうか?
「朧月夜」の月は、三日月だった!?
「月夜」といわれたら、普通は満月をイメージしませんか? 歌絵本の挿絵などにも円い月が描かれていたりしますよね。けれども、『朧月夜』の月は「三日月と考えるほうが自然」という説があるのをご存じでしょうか。歌詞から推測する太陽と月の位置関係や、「夕月」という言葉が三日月の意味を含む場合があることなどがその理由だそうです。菜の花畑に三日月の朧月。ちょっと意外ですが、趣き深い絵になりそう…。
月は、太陽と違って、春と秋とで通り道が異なります。傾きが変わると、三日月の形も変化するのですね。春の三日月は横に寝ころんでいます。地面に対して垂直に近い角度で沈んでいくため、沈む太陽に月の下側が照らされて、まるで小舟かお椀のよう(一方、秋は地面に対して水平に近い角度で沈んでいくために、月の横側が照らされて、三日月は立った形に見えます)。
昔の人は、盃にたとえて「春の三日月はお酒がよく入る」といいつつ月見酒を楽しんだといいます。西洋では「春は三日月のくぼみに水が溜まる。だから霞がかかって、朧月夜になるのだ」と言い伝えられてきたとか(ちなみに秋の三日月は「立っていて水が溜まらないから澄んで見える」のだそうです)。また、二十六夜月とか二十七夜月と呼ばれる「有明の月」は、三日月とは逆に、春には立っていて秋には寝ころんでいます。興味のある方は明け方の空もチェックしてみてくださいね。
「朧(おぼろ)」とは、つかみどころなくぼんやりと霞んではっきりしない様子。「朦朧(もうろう)」という熟語は、どちらも月へんですね。月はいつでもミステリアス。さらに、隣に寄り添う「龍」の字には「得体の知れない (空想上の生き物ですし)」という意味も含まれているそうです。
仙人はどんな霞を食べているの?
仙人(せんにん)とは「中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人」。白いヒゲのおじいさんばかりかと思っていたら、女性もいるようです。経済活動のストレスとは無縁の生活で、超能力をもち不老不死。憧れちゃいますね。仙人といえば、霞を食べて生きる人として有名です。一般人も霞を食べれば、仙人に近づけるのでしょうか。たしかにお金はかからなそうですが、そのお味と成分が気になります。
気象上「霧」の一種だとすると、「霞」はいわば水蒸気。なのでたぶんおそらく、水の味です。そしてその成分は…ななんと、実際の霞とは、水蒸気というより、おもに「黄砂」!? 中国大陸の内陸部にある砂漠の砂塵が、砂嵐によって上空に巻き上げられ、偏西風に乗って日本に飛来。車や洗濯物を台無しにする、お困りのアレです。さらには、近年黄砂よりもっと厄介とされる「スギ花粉」も混入。現在、日本に住む人の5人に1人が花粉症ともいわれています。この浮遊する砂塵や花粉が、春の霞の正体だったなんて。これを食べて生きるなんて。
さて、花粉のほうはもしかしたら栄養があるかもしれませんが、トリでもないのに砂を食べるとは、仙人の健康状態が心配です。ところが、「霞」にはもうひとつの意味があったのです。それは「朝日と夕日」。仙人は、昇ったり沈んだりする太陽の「気」を体内にとり入れて、エネルギーをチャージしているようです。仙人的食生活の詳細は不明ですが、少なくとも「お腹いっぱい食べたい」などという世俗スタンスで生きていらっしゃらないことは確か。山でとれるわずかな自然食とともに(イメージです)「霞を食べて」元気をもらい、身も心も軽く長生き(不死?)するのでしょうか。気の技を学ぶ「気功」は、一般にも広くおこなわれていますね。修行をしていない身でも、春に目覚めたばかりの自然に気のパワーが満ち満ちていることは、はっきりと感じられます。
高野辰之・岡野貞一ペアは、他にも『ふるさと』『春が来た』『春の小川』『紅葉』『日の丸の旗』など、珠玉の童謡を数多く生んだゴールデン・コンビ。作曲者・岡野貞一はクリスチャンで、教会のオルガニストや聖歌隊の指導もしていたといいます。日本の美を視覚的に切り取った歌詞だけでなく、人の心に深く届く賛美歌のような旋律もまた、これらの歌が長く愛されている理由かもしれませんね。『朧月夜』がどんな歌だったかもういちど聴いてみたい!という方は、関連リンクからどうぞ。
<参考文献・サイト>
『赤とんぼはなぜ竿の先にとまるのか?』稲垣栄洋(東京堂出版)
『池田小百合HP なっとく童謡・唱歌(童謡・唱歌事典)』