甲子園で最速156キロ、プロ入り後も当時の日本人投手の最速161キロをマークしながら、故障で大成を阻まれたのが、佐藤由規だ。
2007年夏、3季連続甲子園出場をはたした仙台育英のエースは、1回戦の智弁和歌山戦の6回に、広島スカウトのスピードガンで自己最速の155キロを計測、毎回の17三振を奪った。2回戦で智弁学園戦に敗れたものの、最速156キロを記録し、大会後の日米親善野球でも157キロと自らの記録を更新した。
そして、高校生ドラフトでは、5球団が競合し、ヤクルトが交渉権を獲得。「由規」の登録名で、「日本最速、世界最速を目指したい」と夢を膨らませた。
1年目は登板6試合に終わったが、2年目は開幕から先発ローテの一角を担い、5勝と徐々に力をつけ、3年目の2010年に初の二桁勝利となる12勝を記録。8月26日の横浜戦で、5回に日本人投手最速の161キロをマークし、球界の新エース誕生を予感させた。
だが、翌11年に右肩を痛めてからは野球人生が暗転。12年から4シーズンも1軍で投げられない日々が続く。そんな長い試練を経て、16年7月24日の中日戦で1786日ぶり勝利を手にしたが、その後も右肩は思わしくなく、20年限りでヤクルトを退団。それでも「野球を辞める理由がない」と台湾・楽天やBC埼玉で昨年まで現役生活を貫き、今季から古巣・ヤクルトの2軍投手兼育成担当コーチに就任した。
沖縄勢史上初の春夏連覇に貢献しながら、プロ入り後も大学時代に失った輝きを取り戻せなかったのが、島袋洋奨だ。
2010年、興南高の左腕・島袋は独特のフォームから“琉球トルネード”の異名をとり、春夏連覇の立役者になった。
ドラフト上位指名が確実も、「まだ自信がない」と中央大に進学。澤村拓一(現ロッテ)が抜けた投手陣の新エースとして、1年春のリーグ戦では開幕投手も務めた。
だが、2年春の開幕戦、東洋大戦で延長15回、226球を投げ抜き、1週間で計441球という酷使から左肘を痛めたことが、大きな影を落とす。