秋にリリーフで復帰し、150キロ近い速球を投げたものの、野球人生で初めての長期離脱が次第にフォームなどに影響していったのか、3年秋頃から制球が乱れはじめ、4年時にはイップスを発症した。
当時島袋は主将を務めていたが、不調で登板機会がないにもかかわらず、攻守交替でベンチに戻ってくるナインを、常に明るい笑顔で出迎え、鼓舞していた。そして、時間を見つけては、ブルペンで黙々と投げつづけた。対戦相手の青山学院大・河原井正雄監督も「普通ふてくされたりするけど、まったく出ない。野球人として立派」と褒めていた。
そんな姿をスタンドから見ていた筆者も「何とか復活の1勝を」と願っていたが、4年秋の青学大戦で、打線の援護を得て大学通算12勝目となる1年ぶりの白星。直後のドラフトでソフトバンクに5位指名され、「ホッとしました」と涙ぐんだ。
だが、プロ入り後も左肘手術を受け、育成契約になるなど、不遇の日々が続き、通算2試合、2イニングに登板しただけで現役引退。現在は母校・興南高で指導者としての経験を積んでいる。
(文:久保田龍雄)
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