今度は校名にひらがなが入った学校を紹介しよう。

 カタカナ同様、甲子園出場校は少なく、75年夏に初出場した島根・江の川(現石見智翠館)が第1号。2000年代以降では、10年に春夏通じて甲子園初出場をはたした三重・いなべ総合の名が挙がる。

 前身の員弁農から01年に改称した同校は、四日市工時代に春夏通算6度甲子園に出場した名将・尾崎英也監督の指導で力をつけ、就任5年目で悲願の甲子園出場を実現した。

 だが、1回戦の福井商戦では、エース・近藤佳史が肩の痛みを押して4回まで1安打無失点と好投も、5回に一挙6失点と崩れ、0対6で敗れた。その後、6年ぶり2度目の出場をはたした16年に1回戦で鶴岡東を5対3で下し、春夏通算3度目で甲子園初勝利。2回戦でも山梨学院付7対2と打ち勝ち、ベスト16入りした。

 翌17年には、おかやま山陽(岡山)も甲子園初出場。2度目の出場となった23年には、日大山形に9対2と快勝して甲子園初白星を挙げると、2回戦で大垣日大、3回戦で日大三を連破する“日大クエスト”を達成して、8強入りした。

 日大山形戦で代打タイムリーを放った背番号12の焔硝岩(えんしょういわ)央輔は、岡山大会からラッキーボーイ的存在で、「報知高校野球」の四コマ漫画にも登場。ネット上でも「名前もすごいけど活躍の発火点になったのがかっこよすぎる」「鬼滅の刃に出てきそう」などの声が出るなど、珍名の強打者として人気者になった。

 今夏は川内実時代の80年夏に甲子園初出場のれいめいが鹿児島大会決勝まで勝ち進んだが、神村学園に敗れ、45年ぶり2度目の出場ならず。来年以降、オールひらがなの校名では初の甲子園出場を期待したい。

 テレビCMで流れた“架空の校歌”がきっかけで、「事実は小説(フィクション)よりも奇なり」と話題になったのが、93年に初出場した近江兄弟社(滋賀)だ。

「メンターム」で知られる近江兄弟社グループを母体とする同校は、県大会では8番手から10番手あたりのダークホース的存在だったが、初戦で“大本命”八幡商に3対2とサヨナラ勝ちし、“ジャイアントキリング”を達成すると、有力校が次々に姿を消すなか、決勝でも大津商に6対4と逆転勝ち。見事創部16年目で甲子園出場の夢を叶えた。

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