自宅1階で喫茶店を開く藤岡美千代さん。戦争に加担しない、戦争を許さない、という思いを込めて、店の前に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」がスローガンを掲げている=2025年7月15日、大阪市(photo 大久保真紀)
自宅1階で喫茶店を開く藤岡美千代さん。戦争に加担しない、戦争を許さない、という思いを込めて、店の前に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」がスローガンを掲げている=2025年7月15日、大阪市(photo 大久保真紀)

心の奥底に潜む父の姿

 戦争は社会をまるごとのみ込む。戦闘行為が終わっても、その後も長期にわたり心の問題として人々に影響を与え続ける。戦争トラウマは戦地へ行った男性だけでなく、その家族などにも被害を及ぼす。戦後に苦しみを背負ったのは女性たちも同じだ。

 18年には「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会(現・PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会)」が発足。その実態がようやく認識され始めた。会合には女性の姿も目立つ。

 関西支部メンバーの藤岡さんもここ数年、父のことを語り、父の足取りをたどり始めた。軍歴を取り寄せ、復員してきた舞鶴にも足を運んだ。今年は56年ぶりに父の実家を訪ね、ドキュメンタリー映画の撮影で父が抑留されたシベリアにも行った。

 各地を訪ね、心が壊れていても父がよく帰ってきてくれたという思いが湧いた。帰ってこなければ、自分はこの世には存在しないのだから。

 ただ、藤岡さん自身、いまもトラウマを抱える。以前、駅前でミストシャワーの「シューッ」という音を耳にしてパニックを起こしたことがある。プロパンガスの音に聞こえたのだ。昨年は、映画を見たとき、映し出される兵士の姿が父に重なり、体が震えだして過呼吸になった。

 父の戦争トラウマは、80年を経たいまも、形を変えて藤岡さんの心の奥底に潜む。

 いつかは「あんたも大変やったな」と、写真を包んだ黄色いハンカチを解くことができるだろうか。心の底から情愛を込めて「お父ちゃん」と呼べる日がくるだろうか。

 藤岡さんはそう願いながら、戦争によるPTSDに翻弄された父と母、家族の歴史に改めて思いを馳せている。

(朝日新聞編集委員・大久保真紀)

AERA 2025年8月11日-8月18日合併号

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