父の写真は目に入らないように黄色いハンカチで包んで、自宅の階段に保管している。隣は生前の母。(photo 大久保真紀)


1歳半の娘をはね飛ばした
父の写真は目に入らないように黄色いハンカチで包んで、自宅の階段に保管している。隣は生前の母。(photo 大久保真紀)

1歳半の娘をはね飛ばした

 父の死後、生活は平穏になるはずだった。しかし、今度は母からの「しつけ」という名の虐待が始まった。別居中に食べ物を持って家に立ち寄った際、父の娘への行為を目撃したようだった。「きたな(汚)ぎもん」「畜生」などと呼ばれ、殴られたり、罵声を浴びせられたりした。

 逃げるように大阪の専門学校に進んだ。20歳で保育士になり、21歳で結婚、出産。しかし、夫の暴力と借金に苦しんだ。不満だらけの日々に、気づいたらキッチンドリンカーになっていた。

 長女が1歳半のときだ。「ちゃーちゃん」とまとわりついてきた長女を「やかましい!」とはね飛ばした。長女の頭が玄関ドアに当たる大きな音で、我に返った。「親と同じことをしている……」

戦争によるPTSD

 何とかしなくては──。離婚を決意、子どもを引き取った。保育士という仕事柄、人権や虐待の研修の機会はあった。研修を受け、本を読み、虐待や暴力、いじめに関する講習会に行きまくった。

 ある晩、家でベトナム戦争を扱った米映画「天と地」を見た。精神を病んだベトナム帰還兵の姿が父に重なった。「父の人生は戦争で壊れてしまったのかもしれない」

 父が戦争によるPTSD(心的外傷後ストレス症)を患っていたということに気づいても、抱える苦しみは変わらなかった。子どものころに十分に食べられなかったからか、食べ物への執着が強かった。冷蔵庫いっぱいに食材があっても、食べ物を買うことをやめられなかった。また、人を信じられず、人間関係に疲労困憊していた。

 カウンセリングに30年通い続け、自分の気持ちを知ること、感情を吐き出すことの大切さを学んだ。その過程で、酒も手放せた。

 2019年、母が85歳で亡くなった。父のことは語らなかったが、「あんたたちの父親だから」と言って50年墓参りを欠かさなかった。

 藤岡さんは生前の母との関係が悪く、体に触れることもできなかった。しかし、棺の中で眠る母の頬に触れ「おばあちゃん、ご苦労様でした」と声を掛けることができた。涙は一滴もでなかったが、わだかまりは解けた気がした。

「母は娘が父に抱かれていると女の視点で見てたんでしょう。母も苦しんだのだと思う」。虐待は許せないが、母の立場になれば、学ぶ場もなく、他にぶつけるところがなかったのだろうとも思う。

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