大阪市在住の藤岡美千代さん。「なぜ父は46歳で死ななければならなかったのか。幸せに生きる権利を奪った国の責任を問いたい」と語る(photo 大久保真紀)
大阪市在住の藤岡美千代さん。「なぜ父は46歳で死ななければならなかったのか。幸せに生きる権利を奪った国の責任を問いたい」と語る(photo 大久保真紀)
この記事の写真をすべて見る

 戦後80年。戦争のトラウマは戦地へ行った男性だけでなく、その妻や子どもにも、被害を及ぼし続けている。AERA 2025年8月11日-8月18日合併号より。

【写真】戦争で心が壊れた父親から暴力 写真を直視できず、ハンカチに包んだまま

*  *  *

 手元に残る父の写真を、藤岡美千代さん(66)=大阪市在住=は直視することができない。

 見ると、震えがくる。海軍帽をかぶった父が、暴力を振るう「大魔神」に変身してしまうからだ。藤岡さんらを投げ飛ばし踏みつけた、あの凄まじい形相が写真から蘇ってしまう。

 だから、黄色いハンカチでしっかりと包み、不意に目に入らないよう保管している。

 藤岡さんの父・古本石松さんは1922年に鳥取市の農家に生まれた。15歳から軍需工場で旋盤工として働き、20歳で応召。千島列島に派遣され、敗戦後はシベリア抑留を経て、48年の夏に26歳で復員した。

 藤岡さんが物心ついたころから、父は酒を飲んでいた。夕食の準備ができると、ちゃぶ台をひっくり返した。

 藤岡さんは一つ上の兄と裸足のまま裏の畑に逃げるのが日課だった。母が迎えに来るのを待って家に戻ると、父は大の字で寝ていた。その横で散らばったおかずやご飯をかき集めて、口に入れた。

 酔った父はよく「起立!」と大声で号令をかけ、プロパンガスの栓をひねった。「シューッ」という音がする中、「父ちゃんと一緒に死のう」とわめく。そんな「心中ごっこ」も日常茶飯事だった。

海軍帽をかぶった父・古本石松さんの22歳当時の写真。母の死後、和だんすの中に裏返しに入っていたのを見つけた(photo 藤岡美千代さん提供)
海軍帽をかぶった父・古本石松さんの22歳当時の写真。母の死後、和だんすの中に裏返しに入っていたのを見つけた(photo 藤岡美千代さん提供)

父が死んでバンザイ

 酒量が増えるにつれ、父は幻聴や幻覚がひどくなった。

「兵隊の足音が聞こえる」

「アイツらが殺しに来る!」

 雨が屋根を強くたたくと、ガタガタと震えて怯えた。

 そのうちに昼間から酒浸りになり、働けなくなった。母は食べるため、内職をしながら鉄工所とスナックの夜間託児所の仕事をかけもちした。

 父は母に手を出すことはなかったが、母は藤岡さんが9歳になった春に「きっと迎えに来る」と言い残して、五つ下の妹を連れて家を出た。

 その後だった。父が寝ている藤岡さんの太ももにツバをつけ、何かを押し当ててきた。挿入はなかったが、腕立て伏せの格好で、父の胸が上下していたのを覚えている。

 その年の秋、父母が離婚。母、兄妹との4人の暮らしが始まった。まもなく、父が死んだ。46歳。実際は自殺だったが、母からは病気だと告げられた。「やった~!」。兄と何度もバンザイをした。

 葬式で親族が「優しい、いい人だった」「戦争に行って人が変わった」などと話していたが、ピンとこなかった。

次のページ 母からの「しつけ」という名の虐待も