peco 戦争について「なんでお口で話し合って戦わないの?」息子の素朴な疑問にどう答える? pecoさんの日々の出来事について綴る連載「pecoの子育て&お仕事日記」。今回のテーマは、「戦争」について。息子さんから戦争について「なんでお口で話し合わないの?」という質問に、即答できなかったというpecoさん。そのときpecoさんが取った行動には、子どもの「なんで?」に真摯に向き合う姿がありました。 peco戦争戦後80年 9時間前
北原みのり 戦後80年の夏、「あの戦争」の極限を生き抜いた男たちの残影と私たちの社会を思う 北原みのり 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は戦後80年の夏に考えた、私たちが向き合ってこなかったことについて。 戦後80年 8/22
小長光哲郎 〈先週に読まれた記事ピックアップ〉被爆2世の吉川晃司が向き合う戦後と平和 「戦争を始めるのはいつも『安全地帯』にいられる人たち」 #戦争の記憶 先週に多く読まれた記事の「見逃し配信」です。ぜひ御覧ください(この記事は「AERA DIGITAL」で2025年8月13日に配信した内容の再配信です。肩書や情報などは当時のまま)。 戦後80年吉川晃司 8/21
多賀幹子 〈先週に読まれた記事ピックアップ〉上皇さまと美智子さまに背を向け、こぶしを突き上げた英国人の元捕虜たち 英王室ジャーナリストが見つめた戦後 #戦争の記憶 先週に多く読まれた記事の「見逃し配信」です。ぜひ御覧ください(この記事は「AERA DIGITAL」で2025年8月10日に配信した内容の再配信です。肩書や情報などは当時のまま)。 英王室戦後80年 8/20
太田裕子 戦後80年 愛子さまが強く願う「世界平和」 学習院女子中等科時代に培われた思い 終戦から80年となった節目の年の8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京・千代田区)で開かれ、戦没者の遺族や天皇、皇后両陛下、石破首相ら約4千人が参列した。天皇陛下はおことばに「戦中・戦後の苦難を今後とも語り継ぎ」という言葉を新たに加えられた。“語り継ぐ”担い手のひとりは天皇、皇后両陛下の長女・愛子さまにあるのではないかと、愛子さまが生まれた2001年から皇室番組を担当する、放送作家のつげのり子さんが紐解く。 愛子さま天皇陛下雅子さま戦後80年 8/17
小長光哲郎 被爆2世の吉川晃司が向き合う戦後と平和 「戦争を始めるのはいつも『安全地帯』にいられる人たち」 #戦争の記憶 原爆が広島と長崎に投下されてから80年。被爆2世でもある歌手・俳優の吉川晃司さん(59)が、「戦争は二度とあってはならない」とする、その思いとは。東京都写真美術館で開催されている「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」の会場で話を聞いた。 戦後80年吉川晃司 8/13
大川恵実 ベトナム戦争終結50年の今夏 現地を取材した報道カメラマンが語る「平和とは」 #戦争の記憶 報道写真家の石川文洋さん(87)は、ベトナムをはじめ、多くの戦場を取材し、撮影してきた。戦後80年の今年は、ベトナム戦争終結50年の節目でもある。石川さんに戦争とは、平和とは何かを聞いた。 戦後80年ベトナム戦争 8/12
大川恵実 井上有紀子 広島平和記念資料館で「この少年は、俺やで」 被爆を語らなかった父に息子が今夏思うこと #戦争の記憶 1945年8月6日と9日、広島と長崎に投下された原爆。戦後7年目に「原爆被害の初公開」として報道したのは、朝日新聞社発行の「アサヒグラフ」だった。朝日新聞カメラマンの写真が担ったこととは──。AERA 2025年8月11日-8月18日合併号より。 戦後80年アサヒグラフ原爆広島長崎 8/11
大川恵実 井上有紀子 戦後7年目、「アサヒグラフ」が報じた原爆被害 むごたらしい被害を全頁あげて世界へ #戦争の記憶 広島と長崎に投下された原爆。その惨状は実はすぐに報道されなかった。戦後7年目に「原爆被害の初公開」として報道したのは朝日新聞社発行の「アサヒグラフ」。資料をひもとき、歴史をたどった。AERA 2025年8月11日-8月18日合併号より。 戦後80年アサヒグラフ原爆広島長崎 8/11
多賀幹子 上皇さまと美智子さまに背を向け、こぶしを突き上げた英国人の元捕虜たち 英王室ジャーナリストが見つめた戦後 #戦争の記憶 戦後80年の夏がやってきた。日本の皇室と英王室の関係をたどると、時の流れを経て変化した両国の関係が浮かび上がる。 英王室戦後80年 8/10
神舘和典 熱狂していた夏フェスの会場が静寂に包まれ… 元ちとせが語る反戦歌「死んだ女の子」の持つ力 奄美大島出身のシンガー・元ちとせが、平和を願い、歌い継いできた「死んだ女の子」は、広島への原爆投下により亡くなった7歳の少女を題材にした反戦歌だ。原爆投下から60年を迎えた2005年8月6日に、原爆ドーム前で坂本龍一とともにパフォーマンスしたことでも知られる。戦後80年を迎えるこの夏、同曲の歌唱映像をあらためて公開した元に思いを聞いた。(全2回の2回目/前編はこちら) 元ちとせ戦後80年 8/9
神舘和典 「平和への思いを歌うことは、私にとってライフワーク」 戦後80年に元ちとせが「イムジン河」を歌う理由 2002年、「ワダツミの木」で鮮烈なデビューを果たしたのち、戦後60年に広島・原爆ドーム前で「死んだ女の子」の歌唱と配信リリース、戦後70年には平和をテーマにしたカバーアルバム「平和元年」のリリースと、20年にわたり平和への思いを歌に託してきた歌手・元ちとせ。戦後80年を迎える今夏、配信シングル「イムジン河」をリリースした。戦後30年以上経って生まれた彼女は、どのようにして平和への思いを強く持つようになっていったのか──。(全2回の1回目/後編に続く) 元ちとせ戦後80年 8/9
野村昌二 カルーセル麻紀さん(82)が語る戦後 テレビの出始めは「見せ物」だった 戦後80年「いろんな生き方が認められるいい時代になった」 #戦争の記憶 戦後80年、日本社会は大きく変化した。性別や働き方などさまざまな面で多様性を尊重する動きが広がっている。30歳のときに性別適合手術を受けたカルーセル麻紀さんは何を思うのか。AERA 2025年8月11日-8月18日合併号より。 戦後80年カルーセル麻紀 8/9
小長光哲郎 倍賞千恵子(84)さんが語る戦後 「私たちは『平和』に怠惰になっている」 世界で増える戦禍に危機感 #戦争の記憶 「戦争や平和について考えるようになったのは、芸能界に入ってからです」。そう語るのは倍賞千恵子さん。きっかけは「いい作品」との出合いだった。倍賞さんが伝えたいこととは──。AERA 2025年8月11日-8月18日合併号より。 戦後80年倍賞千恵子 8/9
生き延びたことに苦しみながら、父は沖縄に通い続けた 「サバイバーズ・ギルト」を抱き続けた復員兵たち #戦争の記憶 戦後80年を経て、ようやく注目され始めた問題がある。「戦争トラウマ」だ。戦地に赴いた日本兵をはじめ、被害を受けた住民も心に大きな傷を負った。戦後、この傷は不眠や悪夢、アルコール依存、子どもの虐待といったかたちとなって現れた。そして、トラウマは現代にも連鎖しているという。戦争が日本に深く刻みつけたトラウマの実相に迫る。(この記事は朝日新書『ルポ 戦争トラウマ』より抜粋、一部編集したものです。敬称略、年齢は2025年4月1日現在) 戦争トラウマ戦後80年 8/8
働かず、酒を飲んで「戦争の自慢話」ばかりする姿を息子は恥じた 時代に取り残されていった「ありふれた」父 #戦争の記憶 戦後80年を経て、ようやく注目され始めた問題がある。「戦争トラウマ」だ。戦地に赴いた日本兵をはじめ、被害を受けた住民も心に大きな傷を負った。戦後、この傷は不眠や悪夢、アルコール依存、子どもの虐待といったかたちとなって現れた。そしてトラウマは、現代にも連鎖しているという。戦争が日本に深く刻みつけたトラウマの実相に迫る。(この記事は朝日新書『ルポ 戦争トラウマ』より抜粋、一部編集したものです。敬称略、年齢は2025年4月1日現在) 戦争トラウマ戦後80年 8/8
野村昌二 2度の空襲で多くの友だちを亡くし、生き残った罪悪感も 90代女性「明日があるというのは未来があるということ」 #戦争の記憶 今夏で戦後80年。戦争の記憶の風化が進む中、戦争の悲劇と平和への願いを訴え続ける女性がいる。2度の空襲で焼け野原を見た女性が次世代に託す「平和のバトン」とは。AERA 2025年8月11日-8月18日合併号より。 戦後80年 8/8
野村昌二 東京大空襲で戦争孤児に 伯母の家で「お手伝い」扱いの“地獄の日々” 雪の積もる庭に裸足で引きずり出されて #戦争の記憶 戦後80年。戦争の記憶は薄れつつある中、戦争の悲劇と平和への願いを訴え続ける女性たちがいる。東京大空襲で家族を失いながら過酷な幼少期を生き抜いた女性が、次世代に託す思いとは。AERA 2025年8月11日-8月18日合併号より。 戦後80年全国空襲連 8/8
「助けて。水……」今なお残る冷たい手の感触、友人の最期の声 見過ごされた戦争トラウマの苦しみ #戦争の記憶 戦後80年を経てようやく注目され始めた問題がある。「戦争トラウマ」だ。戦地に赴いた日本兵をはじめ、被害を受けた住民も心に大きな傷を負った。戦後、この傷は不眠や悪夢、アルコール依存、子どもの虐待といったかたちとなって現れた。トラウマは現代にも連鎖しているという。戦争が日本に深く刻みつけたトラウマの実相に迫る。(この記事は朝日新書『ルポ 戦争トラウマ』より抜粋、一部編集したものです。敬称略、年齢は2025年4月1日現在) 戦争トラウマ戦後80年 8/7