息子と前を向けている“いま”が大事

 もし、息子がいなかったら、もっともっと「ryuchell見ててね」とか「ryuchell何しているんだろう」とか思ったかもしれない。息子がいて、息子と前を向けているいま、なんか、やっぱり、その“いま”を保ちたい。切り替えですよね。冷たい言い方ですけど、りゅうちぇるは今、ここにはいない。そして、いま私たちはここにいる。

 それを自分は頭でも心でも理解していたい。それが私の前を向ける秘訣。ちゃんと、ryuchellがいないんだっていうことと、見ていてほしいけど、そんなことは科学的じゃないから、いま自分ができることをやるだけ。いま自分ができることは息子を大きくすること!だから、「蝶が飛んできたからって、あ、ryuchellだ」とか言っている場合じゃないんです(笑)! そういう風に過ごしてきた2年間だったなと。

 私、虫が大っ嫌いだから、家にクモが出てきたら退治しちゃいますが、「これ、ryuchellやったらどうしよー」って(笑)。「蝶々だ、これryuchellだよ」とか面白半分で言ったりする。「オナラした!?」って息子に聞いて、「してない」ってなったときに、「じゃぁ、ダダじゃない!?」って、笑い合っている。当たり前にryuchellの話をできて、ryuchellのことを前向きにとらえられる相手が毎日そばにいてくれるから、見えないものにすがる必要はないと思っているんだと思う。

命日は「ダダの日」

 普通にryuchellのことをちょこちょこ話してて、この前、息子の学校でコンサートがあったんですが、息子は、朝、ryuchellの写真のところにいって「おはよう」と言い、「今日コンサートだから見に来てね」と話していました。その晩、「ダダもビックリしていたと思うよ、すごいカッコ良かったから」と、息子と会話しました。それが特別なことじゃなくて、日々そういう感じで、当たり前のようにryuchellが出てきます。

 ディズニーのアトラクションでたまに誰も乗っていない席があるんですけど、そういうときは「絶対、あそこにダダおる」「ダダだ! ダダ!」とか息子と二人で話して「ダダ~!」って手を振って笑い合ったりする。

 私と息子もそうですけど、普段、一緒にお仕事している方やryuchellと本当に深く関わってくれている人たちとも同じ感覚でお話しできるから、たぶん、寂しくない。寂しくないは、語弊はあるけれども。

 命日は「ダダの日」って呼んでいるんです。特にたいしたことはしないけど、ダダの好きなものを集めて、息子と愛犬のアリソンとゆっくりおうちで過ごす日です。

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