
イタリア出身でJRA所属のミルコ・デムーロ騎手(46)がいよいよ今週末の騎乗後、14日に渡米。西海岸を拠点にデルマー競馬場やサンタアニタ競馬場で騎乗する。期間は3カ月で場合によっては延長する可能性もあるという。「もっと乗りたい」。JRA騎手免許取得から10年。数々の栄光を手にした男が46歳のいま、再挑戦する理由、その背景にあるものとは。
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今夏、アメリカで騎乗するとミルコから聞いたとき、やっぱりそう来たかと感じた。特にここ数年は若手騎手の台頭もあって、騎乗馬の質が下がり、騎乗機会も激減。昨年は42勝どまりと重賞をバンバン勝っていた時期を知っていただけに、寂しそうな表情をするミルコを見るのがつらかった。
北九州記念が行われた7月6日の小倉競馬では重賞に乗れないどころか、早々と8レースでこの日の騎乗を終了。3場開催で騎乗馬が増えていいはずなのに、悲しいかなこれがいまの現状だった。
つい3週間ほど前のこと。失礼と思いつつ、努めて明るく、ミルコにこんな質問をしたことがある。
「どっか痛いところがあるとか、足首や関節が硬くなっているとか、ないよね」
するとミルコは「腰が痛かったときはあったけど、いまはどこも悪くない。元気、元気。足首もほら、見て。全然硬くないよ。柔らかいでしょ」と返した。珍しく少しムッとしているような感じだった。
渡米するきっかけはエージェントのトニー・マトス氏からの熱心な誘いも大きかった。ケント・デザーモ騎手やピンカイ・ジュニア騎手を担当していた敏腕エージェントから1年前から声を掛けられていたそうで、熟慮した結果、今回の米国遠征につながった。
「このままではストレスがたまる一方。なんとか流れを変えないと。もっと乗りたい。僕は終わっていないから」
いま考えると、負のスパイラルに陥ったのは移動が制限された2020年のコロナ禍あたりだったからかもしれない。流れを変えるため、関東に拠点を移し、21年にはユーバーレーベンでオークスを制覇。サークルオブライフで阪神ジュベナイルフィリーズも勝った。しかし、その後は続かず、23年後半から再び関西に戻った。