スペイン代表の将来を担う存在として期待されていたアントニオ・プエルタ(1984-2007)も試合中に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。力強い左足キックと豊富な運動量を高く評価され、21歳でスペイン代表デビュー。セビージャからビッグクラブに引き抜かれるのも時間の問題と言われていた。だが、2007年8月25日のリーグ戦の前半35分にピッチに倒れて意識を失う。その後、自ら立ち上がって自力でピッチの外に出るも、再び昏倒して心肺停止状態となり、3日後に死去した。22歳没。遺伝や突然変異等による心臓疾患が死因とされた。多くのファン、関係者が悲しみに暮れた中、セビージャの下部組織時代からの朋友だったセルヒオ・ラモスはその後、プエルタが代表デビュー時に付けた背番号15を着用してプレー。2008年のEUROでの優勝セレモニーでプエルタの顔写真がプリントされたTシャツを披露すると、その後の2010年W杯、2012年EURO優勝の際もセルヒオ・ラモスはプエルタと優勝を分かち合った。
もう一人、スペイン代表の黄金時代のメンバーに名を連ねてもおかしくなかった選手に、ダニエル・ハルケ(1983-2009)がいる。エスパニョールの下部組織からの生え抜きの大型センターバックで将来を期待されていたが、2008年8月、新シーズンへ向けたイタリア合宿中のホテルで突然死。恋人との電話の最中の悲報で、急性心筋梗塞が死因とされた。26歳没。そのハルケの死に大きなショックを受けた一人が、友人のアンドレス・イニエスタで、一時はうつ病にも悩まされたという。だが、2010年のW杯決勝・オランダ戦での延長ゴールを決めた直後、イニエスタは大興奮のままユニフォームを脱いで「Dani Jarque: siempre con nosotros(ダニ・ハルケ、僕たちはいつも一緒だ)と書かれたシャツを世界中にアピール。多くのファンが心を打たれた。
心の病に苦しみ、自ら命を絶つ悲しい結末となったのが、ロベルト・エンケ(1977-2009)だ。東ドイツ出身のGK。ブンデスリーガのボルシアMG、ポルトガルのベンフィカ、さらにスペインのバルセロナにも所属し、2007年にはドイツ代表デビューも飾った。表面上はエリート街道を歩んで充実の日々を送っていたはずのエンケだったが、2003年からうつ病の治療を受けていたとのこと。そして母国のハノーファーに所属して2010年のW杯を前にした2009年11月10日、チームの練習場に向かうはずだったエンケは、自宅近くの踏切から線路内に侵入し、列車にはねられてこの世を去った。32歳没。周囲からの期待、重圧、批判、そして2006年9月に当時2歳だった娘を亡くしたことが、エンケの心に大きなダメージを負わせたと言われている。