
ディオゴ・ジョタへの悲しみが続いている。
リバプール所属の現役ポルトガル代表FW。今年4月にプレミアリーグ制覇の歓喜を味わい、6月にはUEFAネーションズリーグで優勝カップを掲げた後、高校時代から連れ添っていた妻、3人の幼い子どもたちと結婚式を挙げたばかり。7月3日の午前0時半ごろ、スペイン・サモラ近郊の高速道路を走行中、乗っていたレンタカーのランボルギーニのタイヤがパンクして車道から外れて衝突した後に炎上。弟アンドレ・シウヴァとともに亡くなった。28歳。彼を知る世界中の人々が、その早すぎる死を悼んだ。
これまでも時折、サッカー界はショッキングなニュースに見舞われてきた。古くは1958年に起きたマンチェスター・ユナイテッドのチャーター機の航空機事故「ミュンヘンの悲劇」があるが、それ以外にも現役選手たちが“非業の死”を遂げた例は、残念ながらある。
W杯の異常な熱狂の被害者となったのが、アンドレス・エスコバル(1967-1994)である。21歳でコロンビア代表デビューを果たし、冷静沈着な守備で南米屈指のCBの評価を得ていた男だったが、優勝候補の一角に挙げられていたコロンビア代表の一員として出場した1994年アメリカW杯のグループリーグ第2戦で痛恨のオウンゴールを献上。そのアメリカ戦に1-2で敗れてコロンビアの敗退が決まると、その試合から10日後の7月2日、帰国して友人とバーで歓談して店から出たところで暴漢に銃撃され、12発の凶弾によって27歳でこの世を去った。不法賭博に絡んだ犯罪組織の関与なども取り沙汰されたが、真相は不明のまま。W杯大会期間中に起きたこの事件は世界中に衝撃を与えた。また、日本ではそれまでの「自殺点」の呼称を「オウンゴール」に変更したことでも知られている。
試合中に突然、ピッチに崩れ落ちるショッキングな映像が今でも焼き付いているのが、マルク=ヴィヴィアン・フォエ(1975-2003)だ。高い身体能力に加えて豊富な運動量でピッチを縦横無尽に動き回って欧州クラブで高い評価を得ていた守備的MF。カメルーン代表でも実績を積み、W杯でも好プレーを披露した。だが、2003年6月に行われたコンフェデレーションズカップの準決勝・コロンビア戦の後半27分、センターサークル内で突然、意識を失ってピッチに倒れ込んだ。この時すでに心肺停止状態で、懸命な蘇生処置も叶わず。28歳没。死因は肥大型心筋症とされたが、大会の過密日程や酷暑の影響、本人の体調不良など、様々な要因が指摘された。試合直後に死亡が伝えられると、スタジアムの観客、テレビの前のファン、多くの人々が驚きと悲しみに暮れた。