しかしこのような状況は実は今に始まったことではない。それ以前のドラフトを見ても期待通りの活躍を見せている野手は極めて少ないのだ。2000年以降に上位指名で獲得した野手では平田良介(2005年高校生ドラフト1巡目)、高橋周平(2011年1位)がレギュラークラスとなったが、それでも入団時の期待を考えると物足りない成績に終わっており、チームの顔と言えるまでにはなっていない。

 他の顔ぶれを見ると前田章宏(2001年1巡目)、田上秀則(2001年3巡目)、森岡良介(2002年1巡目)、桜井好実(2002年3巡目)、中川裕貴(2003年1巡目)、堂上直倫(2006年高校生ドラフト1巡目)、田中大輔(2006年ドラフト希望枠)、野本圭(2008年1位)、吉川大幾(2010年2位)となっており、いかに戦力となっていないかがよく分かるだろう(2001年3巡目と2002年3巡目は実質2位)。3位以下の指名を見ても大島洋平(2009年5位)が通算2000本安打を達成する大打者となっているが、それ以外で盤石のレギュラーとなった選手はいない。

 ちなみに中日は落合博満監督が指揮を執った2004年から2011年の間に8年連続Aクラス、リーグ優勝4回という黄金期を迎えているが、この時の主力メンバーは大半が1999年以前のドラフトで入団した選手たちである。それは言い換えれば星野仙一監督時代の遺産であり、その遺産によってチームが勝ち続けたことによって、ドラフトによる成果の乏しさが隠れていた部分も大きかったのではないだろうか。スカウティング、育成、両方に問題がありそうだが、極端なことを言えば20年以上、自前でチームの看板となる野手を確立できなかったということであり、それが現在のチームの低迷に繋がっていることは間違いないだろう。

 さらに追い打ちをかけているのが、ドラフト以外の補強も以前のように機能していないという点だ。落合監督時代にはFAで獲得した谷繫元信、和田一浩、さらに横浜(当時)から移籍した外国人選手のウッズが大きな戦力となっていた。しかし、その後FAで獲得したのは小笠原道大と大野奨太だけで、ともに目立った活躍を見せることはできずにユニフォームを脱いでいる。外国人選手についてもブランコ、ビシエドは活躍したが、それ以降の“当たり”はゲレーロくらいで、そのゲレーロも1年の在籍で巨人に移籍となった。

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