
「舞妓が置かれた状況は『現代の奴隷』です」。元舞妓の桐貴清羽(きりたかきよは)(26)さんは今年、有志の弁護士ら6人と「舞妓と接待文化を考えるネットワーク」を立ち上げ、国連の女性差別撤廃委員会に、舞妓の人権侵害に関する報告書を提出した。舞妓文化の裏で、少女たちは何を強いられていたのか――。桐貴さんに聞いた。
【写真】舞妓時代の面影も残る、インタビューに応じてくれた桐貴さん
――中学を卒業後、地元を離れて京都の花街で舞妓になりました。
小学生の頃からジュニアアイドルとして活動し、日本舞踊に出会ってから、それが生き甲斐になっていました。それが中学に入った頃、母の知人で花街に通っている人から「舞妓になったらどう?」と勧められたのがきっかけです。本当は高校に進学して、いつかは自分で舞台をプロデュースしたいという夢がありました。でも、当時の私は世間知らずで、母に勧められたこともあり、「母の期待に応えたい」と思い舞妓の道を選びました。
こらえるしかありませんでした
――舞妓は「置屋」と呼ばれる場所で共同生活を送ります。契約書などは交わさないのですか?
置屋には、最初に履歴書を渡すだけです。そもそも契約書はなく、置屋の「お母さん」と面接をして、「お小遣いは出るけど、修行だと思って頑張ってね」と言われたぐらいです。
――舞妓になるまで「仕込み」「見習い」の期間があります。桐貴さんが舞妓としてデビューしたのは、中学を卒業した年の2015年11月、16歳でした。舞妓になってどうでしたか。
一番驚いたのは、お座敷でのセクハラです。胸やお尻を触られたり、着物の隙間に手を入れられることは日常茶飯事。でも、「何があってもお客さんに逆らってはいけない」と教育されてきたので、こらえるしかありませんでした。
