
親の収入によって、学校以外で得られる体験機会に差が生まれている。教育ジャーナリスト・おおたとしまささんは、「体験格差」をどう見るのか。AERA 2025年7月7日号より。
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これまでは、競争社会を生き抜くための武器として学力が大切だと塾に行かせる家庭が増えていました。競争だから他と差をつけないといけなくて、学力の場合は文字通り偏差値がその指標でした。そこへ「学力だけでは不十分だ」と言われるようになり、プラスαで「非認知能力」が必要だとなってきました。
「非認知能力」を私なりに定義させてもらうならば、「これからの時代をたくましく生きていくうえで子どもたちが身につけるべきだと大人たちが思い込んでいる、存在するのかすら怪しい曖昧な力すべて」です。その曖昧な能力を高めるために、塾以外の「体験」が求められる時代になりました。
拙著『子どもの体験 学びと格差─負の連鎖を断ち切るために』(文春新書)でも書いたのですが、最近は体験活動がコンテンツ化されてきています。もちろん、体験活動を提供している人たちは、拝金主義的にやっているのではなく、自分たちのやっている活動が子どもの育成にとって良いという思いでやっていますが、結果的に商品化され、消費財化されてしまい「体験消費社会」が生まれています。
「体験格差」という言葉の弊害もあります。体験活動の有無が子どもの将来的な力の差に繋がるという認識が世の中に広がってしまったのではないかと。経済的な理由などで困っている家庭があることに目を向けるために「体験格差」という言葉が使われる意図はわかるのですが、「体験ができない=かわいそうな子」という図式を植えつけることにもなります。それは「体験をさせないとダメ親」だと思ってしまう親を生み出してしまいます。だから、富裕層はますます体験に課金をして体験活動を買っていく。そして、お金を掛けられない家庭との差がどんどんついてしまうというのがこの10年くらいの状況でしょう。