
子どもたちは自ら関心を持っていることは、夢中になってやります。そのとき、学びは楽しく深まっていく。学校の勉強も、自発的にやっている時には楽しいという思いがあったはずです。ところが「計算力をつけましょう」「読解力をつけましょう」と、自発性から違うところに目的が置かれた瞬間に「やらされるもの」になってしまう。体験も同じで、「こういう非認知能力をつけてほしい」と大人の意図で用意された体験では、自発的な学びと比べて子どもの学びは少ないと思います。
体験が意味を持つのは経験になった時です。体験は事実であって、そこから何かを得たときに経験になります。釣りをした事実があった時、どのような経験になるかは子どもによって違うはずです。つまり「○○を身につけるために釣りをする」と何らかの目的を置いて体験するというのはちょっとおかしいですよね。目的を置くことで子どもの学びの躍動感を奪ってしまうことが一番の罪だと思っています。
現代の日本の子どもたちに最も不足しているのは、ボーッとする体験ではないでしょうか。人間、ボーッとしている時に心や体を整えている。退屈だなぁと思うことも立派な体験だと思います。
(フリーランス記者・宮本さおり)
※AERA 2025年7月7日号
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