掛布雅之 振り切り(写真:日刊スポーツ)
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「ミスター」と呼ばれた国民的英雄、長嶋茂雄さんが3日、亡くなった。長嶋さんは多くの人々の心をつかんだが、対戦相手も例外ではなかった。AERA 2025年6月16日号より。

【写真】江夏豊のボールを空振り、勢い余ってヘルメットを飛ばす長嶋茂雄さん

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 対戦相手も魅了されていた。

 通算284勝の球界屈指のアンダースロー投手だった阪急の山田久志さんは、V9時代の巨人と日本シリーズを戦い、長嶋さんとも対戦した。思い出深いのは71年の日本シリーズ第3戦。先発した山田さんは、九回の1点リードの場面で4番の王にサヨナラ本塁打を打たれた。

「王さんの打席の前、勝利まであと一人というところで長嶋さんにセンター前ヒットを打たれてね。私は3年目でしたし、ただただ一番憧れの選手と同じグラウンドで、しかも日本シリーズという大舞台で戦っているんだと、それだけが強烈に思い出されるんです。スーパースターはたくさんいましたけど、長嶋さんは輝きが違っていました。それはもうまぶしいくらい」

 ライバル球団の打者とて例外ではなかった。同じ千葉県出身でミスタータイガースと呼ばれた掛布雅之さんは「長嶋さんは敵も味方も超越して、すべての野球ファンから応援される特別な存在でした」。

勇気を与え続けてきた

 掛布さんはプロ入り3年目に初めて3割を打ったとき、球団から背番号の「3番」への変更を提案されたが固辞した。「3番と言えば長嶋さんの背番号。僕はどんなに頑張っても長嶋さんにはなれない。だったら『阪神の31番・掛布』という確固たる形を作っていこうと」と話す。

 電話で打撃指導を受けたこともある掛布さんには忘れられない言葉がある。79年の結婚披露宴にライバルである巨人の監督なのに出席した長嶋さんは、スピーチで「郷土の後輩なんです。掛布のホームランに、私は誰にも負けない大きな拍手を送る掛布ファンの一人です」などと述べたという。「本気の涙が出ましたし、今でも涙が出ますね」

(編集部/秦正理、川口穣、岩田智博)


阪神対巨人で、江夏豊のボールを空振り、勢い余って飛ぶヘルメット。「ヘルメットの飛ばし方まで研究した」と長嶋さんは語っている(写真:日刊スポーツ)

AERA 2025年6月16日号より抜粋

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