
今年も競馬の祭典を迎えられる。そのことに感謝しつつ、過去の日本ダービーを振り返り、その傾向をあぶり出したい。
縁あって23歳で競馬担当となり、過去に現場で立ち合ったのは12回。郷原洋行騎手の剛腕がうなった芦毛初のダービー馬ウィナーズサークル、19万人のナカノ・コールに府中が揺れたアイネスフウジン、3強ダービーで武豊騎手の腕が光ったアドマイヤベガも記者席から見た。
いまでも4コーナーで最内から大外へ、白帽の名手が描いた美しい進路は目に焼き付いている。そうそう前年にはスペシャルウィークで日本ダービーを初制覇した“生ける伝説”が直線でムチを落としたシーンを目撃し、このレースの重みをズシリと感じたものだ。
それ以外にもタニノギムレットとウオッカの父娘制覇に大雨のロジユニヴァース、福永家の夢がかなったワグネリアンなど思い出は尽きない。
また競馬担当から離れていたときも海外出張時を除き、なんとかリアルタイムで観戦しようと試みた。ディープインパクトのときは確か難波ウインズ、その息子キズナは神宮室内練習場のテレビを見て、その末脚に酔った。
それと、90年代前半から2000年代半ばにかけてはPOGにも積極的に参加。フサイチコンコルド、アドマイヤベガ、アグネスフライト、ディープインパクトで4度の「ダービーオーナー」になったのは僥倖以外のなにものでもないが、このゲームのおかげもあり、ダービー馬になれる馬、そうじゃない馬の線引きがある程度分かったような気もする。
まずは王道の皐月賞組が圧倒的に優位な点。一方、京都新聞杯や毎日杯といった別路線組が台頭する場合は皐月賞が戦国ムードだったときやキズナのような超大物が出現したときに限られる。
今年はどうか。皐月賞前はクロワデュノールに負けた馬が前哨戦を次々と勝ち上がったことで単勝1・5倍の「1強」ムードで本番を迎えた。しかし、レースは大本命馬を包囲しようとのっけから位置取り争いが激しく、加害馬が被害馬になるなど激しい肉弾戦となり、3カ所で審議の対象となった。
勝ったミュージアムマイル、2着のクロワデュノールも不利を受けた。傷の程度で言えば4着ジョバンニが一番だったが、最も立ち回りに余裕がなかったのはクロワデュノールではなかったか。