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 民主主義と資本主義の関係や、ガザ戦争、そして「トランプ現象」を社会学的に読み解いて好評な、社会学者・大澤真幸氏の近著『西洋近代の罪──自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』(朝日新書)。その論考の続きであり、トランプ現象をオウム真理教事件との共通点から探る新たな論考を、特別にAERA DIGITALで公開する。(後編「1995年、日本社会は世界の最先端だった 社会学者が読み解く、「トランプ現象」と「オウム真理教事件」の奇妙な共通点」はこちら)

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「あの事件」が世界規模で再来したような既視感

 トランプ大統領とその関連で起きている現象を見ていると、私は一種の既視感を覚える。今からちょうど30年前に日本で起きたあの事件を思い起こすのである。あの事件。そう、オウム真理教による地下鉄サリン事件である。無論、オウム真理教とトランプとの間には何の影響関係もない。トランプも、その周辺の側近も、オウム事件に関して何の知識もないし、関心ももっていないだろう。にもかかわらず、トランプとの関連で起きていることのいくつもの側面が、オウムを連想させてしまう。

 たとえば、指導者の「権威」をめぐる逆説。トランプをいかに批判し、嘲笑しても、トランプへの支持は衰えない。むしろそのことによってトランプの人気は高まっているようにさえ見える。その愚かな過ちを指摘されたり、性的なことをふくむスキャンダラスな事実が暴露されたりしても、トランプの魅力――支持者たちにとっての魅力――がいささかも衰えないのはどうしてなのか。一般には、こうしたことは、指導者や主人の権威を大きく低下させるのに、トランプの場合にはそのようにはならない。なぜなのか。

 軽蔑されたり、嘲笑されたりしてもトランプの人気が衰えないのは、トランプが自らを戯画化しているから。通常だったら恥ずべきこととして隠すことを、彼は積極的に露悪的に人前にさらす。アメリカではときに、リベラルなコメディアンが、トランプの物まねをして、彼を風刺したりしているが、トランプ本人ほどにはおもしろくない。トランプ自身がすでに自己を風刺しているからだ。

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