
ルワンダの悲劇が歴史的に特異なのは、そのスピードである。これほど短期間に膨大な人が殺されることになったのは、殺害を実行したのが「普通の人」だったからだ。全国の町や村で一斉に、昨日までの隣人が隣人を殺しに行った。なぜそんなことになったのかといえば、その大きなエンジンはラジオだった。
ちょっと過激な庶民のホンネを流して人気を集めたラジオ局があった。誰かがある民族を「ゴキブリ」と呼んだのも、最初は軽いノリに聞こえた。でも差別的な言葉がラジオで流れるのが当たり前になると、事態は次第にエスカレート。その民族の殺戮を呼びかける政治家のスピーチが流れても、その異常さに気づかなくなる。そして大統領暗殺をきっかけに、堰を切ったように暴力が爆発。逃げてきた1200人を匿った実話が映画にもなったホテル支配人はその著書で「人間の兵器庫の中で、言葉は命を奪うのに最も効果的な武器」と書いている。
私は震撼した。このラジオをSNSに置き換えれば既に身近にある光景ではないか。
※AERA 2025年5月26日号
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