
熱狂の”ミッチーブーム”
初の民間人からの皇太子妃となった美智子さまに世間は熱狂し、“ミッチーブーム”が巻き起こった。
たとえば、1961年に訪れた富山県では社会福祉施設や企業訪問のあとケーブルカーで立山高原に向かうおふたりを写真や映像におさめようと、周囲にはレンズを構えたカメラマンや記者がびっしりと集まっている。
昭和天皇の名代として海外訪問も積極的に行い国際親善に力を尽くした。1960年には、おふたりでインド、イラン、エチオピア、ネパールのアジア・アフリカ会議参加4カ国を訪問した。
若き日本のプリンスとプリンセスの人気は高く、各地で歓迎された。イランでは、テヘランのスタジアムで学生のマスゲームを見学した。当時の報道によると、日本の花火が次々と打ち上げられるなか、スタンドの学生が応援歌のように「アキヒト、ミチコ、アキヒト、ミチコ」と歌いその場は歓声に包まれたという。
国内外を忙しく訪問するなかで、おふたりは浩宮さま(天皇陛下)と礼宮(秋篠宮)さま、そして紀宮さま(黒田清子さん)の3人のお子さまを手元で育てた。

慣習を変えて自身の手元で子育て
これまでの慣習を変えた手元での子育てについて、美智子さまは2018年の誕生日の文書で、「3人の子ども達は、誰も本当に可愛く、育児は眠さとの戦いでしたが、大きな喜びでした」と振り返っている。
お子さま方の存在は、上皇さまと美智子さまの日々を明るく照らしていた。
ご一家に女官や御用掛として仕えた和辻雅子氏は、紀宮さまの和歌とお言葉集『ひと日を重ねて』のなかで、女官を拝命したその日にちょうど、紀宮さまが学習院初等科より帰宅した場面を、「東宮御所のお玄関近くの控え室に座っておりました私の耳に、「ただいま」という大層明るいお声が響いて参りました」と懐かしく綴っている。