専門性の高い業務で長年キャリアを築き、業界の動向に通じていたことが転職活動にも幸いした。
「選んだのは私の専門分野を業務の柱に据え、かつ私と同じスキルを持つ人材はいなさそうな、規模も大きすぎない会社です。取引先や業績も調べ、私の実績で十分通用するだろうと考えました」
転職の決め手はもう一つ、長く働けることだ。これまで在籍した会社の定年は60歳。一方、転職先の会社では65歳定年のうえ、60歳以降も昇給があるのは魅力的だった。男性が50歳前後のタイミングで転職を真剣に考えるようになった要因として、一人娘が成人したことも大きかったという。
「精神的にかなり楽になったというか。妻に転職の話を打ち明けたときも、『あなたが楽しそうに見えるから大丈夫じゃないの』と歓迎してくれました。『嫁ブロック』にも遭いませんでした」
60歳定年の会社で、60歳をゴールにした出世競争には加われないと察した男性は、「自分の全盛期は60代」と設定し直したという。そして、いつか巻き返しを図ろうと淡々と準備を重ねてきたと振り返る。男性は明るい声でこう話した。
「人生って60歳を過ぎてからのほうが長いし、実際60~70代で働くのも当たり前になりつつあります。そう考えると、40~50代は助走期間と割り切って努力を重ねることにしました。70歳までは住宅ローンもあるし、経済的にももうひと踏ん張り必要ですから」
昼スナック「ひきだし」で木下さんと何度か本音で語り合ったお客さんは、転身の報告をするためわざわざ来店することも多い。この男性もそうだった。
「その日、お店にいた互いに見ず知らずの人たちと一緒に門出をお祝いしました。自分の転身や新しい決心を励ます存在も大事だと思います」(木下さん)
(編集部・渡辺豪)
※AERA 2025年3月31日号より抜粋