全乳協前会長の長井晶子(右)らと年に2度ほど集まって飲む。この日は東京・新橋の居酒屋で。長井は「彼は危なっかしいからまわりが支えるんじゃないですかね」と笑う(写真:上田泰世)

 渡邊家に来たユウタは落ち着きを取り戻して大学へ進学。3カ月後、みよは入院先で亡くなった。身を削るようにして里親を続けた母を見送り、渡邊は思った。「命をかけてでも養育しろ、なんて誰も思っていない。誰かが悪いのではなく、何かが欠けているから起きた悲劇」だと。

里親として未熟さを痛感 相談する人がいない孤独

 里親として登録していたため、ユウタを送り出すと別の子どもの委託依頼があった。それが高校1年生だったミカ(仮名)だ。現在33歳になったミカは穏やかな印象だが、当時は「何を言われてもうっとうしくて、キーッとなっていた」と笑う。虐待する親から別の里親宅に引き取られたものの、年配だった夫妻は反抗的なミカを持て余し、彼女の目の前で「こんな子は無理」と児童相談所に電話をかけたという。そのような経緯もあり、ミカは「なんやねん、と大荒れで行った。何に対してもツノが立っているというか……。顔つきも相当悪かったと思います」。渡邊夫妻は当時30代後半。優しそうな人たちだとは思ったものの「若いし、大丈夫なのかな」と感じたという。

「小さなことを忠実にできない者に誰も大きなことを任せない」「他人がやりたがらないことを笑顔でやりなさい」という母の教えがいまも胸にある(写真:上田泰世)

 渡邊はミカに「うちにはルールは一個しかない」と伝えた。「生きている以上、人は傷つけあってしまうけど、自分も他人もわざと傷つけるのはやめよう」と。だがミカは感情を言葉にして伝えるのが苦手。イライラを吐き出せないから「人に当たるよりも自分に当たっていた」。自傷行為が見つかると話し合いの場が設けられた。カーペットの上に座り、向かい合う。黙っていると「いつまでも待つから」と声をかけられた。ミカは振り返る。

「脳内で時計がチッチッて鳴るんですよ。いつ終わるんやろって」

 仕方なく、ぽつりぽつりと話すとようやく自室に戻れた。

「うざかったし、面倒くさかった。でも、それだけ待てるのはすごいな、と思っていました」

 19歳で家を出たが、今も毎年、正月は渡邊家で過ごす。「なべちゃんはすごく信頼できる人。今となっては『ありがたい』の一択です」と話すが、一方の渡邊は反省ばかりだという。

「話してくれるまで一晩中でも待つよ、という方法しか当時は思いつかなかった。でも『いつまでも待つ』というなら明日でも1年後でもいいよ、と言えばよかった。本当に申し訳ないことをした」

 里親としての未熟さを痛感し、相談できる人がいない孤独さを感じた。そして思った。母も孤立していたのではないか。

(文中敬称略)(文・山本奈朱香)

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