ただ、一般的に美人になるためのアイテムやテクニックはこの世のあらゆる情報空間に氾濫しているのに対し、ブスになるアイテムはかなり限られています。多くの人が、それはもともと顔が整っている人もオモシロ系の顔の人も含めて、どちらかというと美しくなる方向に努力したりお金を使ったりしていることを考えれば、少なくとも醜いことの苦労よりは美人である苦労のほうが、「あってもいいかな」くらいに思われている気がします。もちろん、得をするために美しくなろうとしているわけではなく、自分が自分を好きでいるため、好きな服や化粧を楽しむため、心地よく生きるため、なのだとは思いますが、美しいほうが好き、と思う人が多い時点で、もともと美人であることの利点はそれなりにあるわけです。

美人が損でも、非美人にはなりたくない

 もちろん、一部には「得」と思われがちな特徴をあえて隠そうとする人もいます。私の知人で、自称巨乳の私よりずっと胸が大きかった人は、出かける時は基本的にさらしのようなものを巻いて、やや太って見えるのはやむなしと言ってだぼっとしたトップスを着ている人がいました。私にとってはそれなりの金づるで自信を持つポイントでもあった胸の大きさは、彼女にとっては日常を送る上で邪魔なもの、嫌な思いをする元凶、あるいは自分のキャリアや思想にとって不必要なもの、であったのでしょう。痴漢にあったり、自分にそういうつもりがない相手にじろじろと性的な目で見られたりするリスクを回避するには賢い方法かもしれません。

 ただ、「美人は得っていうけど私はけっこう嫌な思いもした」とか「実力で勝ち取ったものも顔が良いせいだと思われるから損だ」とか言っている美人さんたちを見ると、芋くさい服で巨乳を隠すどころか、自らの美貌に自覚的で、それをきちんと引き立たせる、なんならより美しくなる格好をしていることがほとんどなので、別に美人が損だからと言って、それを回避するために非美人になろうとは思っていないのは明らかです。非美人になろうとしていない時点で、美人であることは非美人であることよりも良い、せいぜい「それなりに苦労はあるけれど、それを差し引いてもなる甲斐のあるもの」なのではないでしょうか。

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美醜を乗り越えるものは結局…