元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘアーがトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】お土産にいただいた大輪の百合にニンマリ

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 近所の大衆居酒屋が20周年のお祝いをするというので出かけたら、これがすごかった。お酒も料理も店のおごりですよ! 山のように押しかけた常連客に、いつものレモンサワーや日本酒が飲み放題、枝豆、マカロニ、もつ焼きなどの人気メニューのほか寿司まで食べ放題である。このご時世に驚くやら嬉しいやら。

 あまりにもごった返していてどこに陣取っていいのかわからずウロウロしていると、おねーさんこっちこっちと3人組がわずかなスペースに招き入れてくれた。前に会った人かと思ったら全員初対面。ほら食べて食べて、こういう日は残さず食べるのが礼儀だから、このお父さんのジャンパーいいよねえ……と、何の挨拶も距離感もなくたわいない話でゆるゆる時が過ぎる。

 そう、この店が好きなのはこういうところだ。すごく安くて美味しくて、我ら常連はみんなそのことをとてもありがたく思ってるから、みな「品がいい」。品がいいったってお高く止まってるってことじゃない。逆だ。みな見知らぬ隣の客に普通に気を使うのだ。つまりは店の雰囲気を大事に守りたいと全員がフツーに思っているのである。

お店に多数寄せられたお祝いの花を土産に頂く。大輪の百合が次々と開く姿に毎日にんまり(写真/本人提供)

 もちろんそれは、そもそも店が素晴らしいからだ。

 安くて美味いとなれば当然めちゃくちゃ混むんだが、スタッフは元気にテキパキ注文をさばき、それでいて一人一人に目を配って、常連と雑談し、初めての客にもきちんと感じがいい。つまりはその場の全員が仲良し。だからつい、元気が出ないときも一人暖簾をパッと潜りたくなる。

 これって居酒屋の理想形だと思うんだが、どんな細かいマニュアルを作ってもなかなかこうはいかないだろう。

 現在の店は20年だが、その前も近くで店をやっていて、全体の歴史は60年超。その長きにわたり店と客が互いを大事にするリレーを続けた結果、いま私はその最高の雰囲気を味わうことができているのだ。これって一つの奇跡、究極の贅沢だ。だから自分もその雰囲気を次世代にリレーせねばとみんなが思っている。これも一つの奇跡である。

AERA 2025年3月17日号

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