なぜ議論が「高校の」無償化に偏っていたのか
公立高校がなくなるという問題の指摘については、選んでもらえないならなくなっても仕方ないという暴論も耳にするようになった。ちなみに、維新は、元々、公務員に対して非常にネガティブな態度を取るのが特徴だ。大阪府市で、労働組合と闘ってきたということが背景にあるのかもしれない。特に公立には日教組に属する教員もいるため、シンパシーどころか敵意を持っているのではという疑いさえ出てくる。
以上の議論を聞くと、大きな疑問が出てくる。そもそも、どうして私立に行く必要があるのかという問題について、なぜ議論されないのかということだ。公立高校で十分な教育が行われるのであれば、高い授業料を払って私立に行く人に支援金を出す必要はない。
しかし、実際には、私立人気が高まっている。それは私立の方が大学受験で良い成績を上げている学校が多いとか、特色ある教育を行っているというような理由からだろう。
それなら、公立でももう少し良い教育を行ったらどうか。多くの低所得層の子供が通う学校の質を上げて、大金を払える私立に通う子供と同じではないにしてもそれほど遜色のない教育を行えるようにすべきだ。
そのために、公立高校の教員の給与を上げる、教員の研修を増やす、教育内容をグローバル化やデジタル化に対応させる、塾に通えない子供達のために放課後に無償で受験勉強や補習などを行う、教育そのものではない付随業務を担う職員を増やす、部活の負担軽減のための外部サービスを利用するなど、高校教育の質を上げるためにできることは山ほどある。
そのために、無償化のための予算を回すべきだ。それで足りなければ、予算を大幅に追加しても良い。
さらには、98%超の子供が高校に進学していることを考えれば、高校を義務教育にすべきではないか。
もう一つ、おかしいのは、今回の議論がなぜか高校無償化に偏っていたことだ。そこには、維新の良からぬ計算があったのではないか。
大阪府ではすでに高校無償化を行っているが、今回これが国の施策になることによって、大阪府の予算を国が肩代わりする効果が生じる。大阪府としては丸儲けということだ。