小袋成彬さん初の著書『消息』(新潮社)。2019年にロンドンに移住してからの5年間で書かれたエッセイがまとめられている(撮影/今村拓馬)

――『消息』というタイトルについては?

 夏目漱石の『倫敦消息』にあやかってます。担当編集者のアイデアなんですけど、「“小袋成彬の倫敦消息”はどう?」と言われて。結局『消息』だけが残ったんですけど、自分としては「言いたいことを言って、立つ鳥跡を“濁して”どこかに行く」みたいなイメージがあって。英語だと“fade away”ですね。

20代で経験した就職、転職、起業、そしてミュージシャンデビュー

――最初のエッセイのタイトルは「自己紹介」。大学卒業後、音楽を続けながら大阪の小さな商社に就職。2015年に東京のデザイン会社に転職し、貯金を使って友人と一緒に音楽制作会社を立ち上げる――と濃密な20数年間が一気に語られています。卒業時から「早い時期に独立したい」というビジョンがあったんですか?

 就職活動のときに「ここで働きたい」と思うところがなかったのは、そういうことだったのかもしれないです。当時から「自分でコンセプトを立てた場所を作っておくのは大事だな」と思っていたんですけど、何をやればいいかわからなかったし、アプリの販促プロモーションをやったり、デザイン会社でアシスタントディレクターとして働いたりしながら1~2年が過ぎて。「やっぱり音楽をやろう」と決めたのが2015年ですね。

――その後、宇多田ヒカルさんの作品に参加し、小袋さん自身も2018年にアーティストとしてデビューします。そして2019年にロンドンへ移住。『消息』では、当時感じていた日本の閉鎖感についても記されていますね。

 10代の頃から海外のカルチャーを見ていて、「すごく生き生きしているし、楽しそうだな」と感じていたんです。(海外では)電車のなかでも楽しそうに音楽を聴いてたりするじゃないですか。日本では「ダメです」と言われていたけど、「別にそんなことないだろう」と思っていたし、そういう場所にいる奴らが最高の音楽を作っているということは、海外のほうがよくない?と。日本にいるとアイデアが狭まると思って、出ることにしました。音楽とは関係なく、個人として「この枠のなかにいる人間じゃないな」という感覚もありましたね。お金を稼ぐとか、レピュテーションを高める、フォロワーを増やすことにも興味がなくて。ただ自分を磨きたい、自分をアップデートさせたいというだけで、それ以外にやりたいことがないんですよ。目立ちたくないし、人前に出るのが好きじゃないんですよ。

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「マネーは最後」