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Z世代の女性向けエッセイ投稿サイト「かがみよかがみ(https://mirror.asahi.com/)」と「AERA dot.」とのコラボ企画は第6弾。「名字について思うこと」をテーマに、エッセイを募集しました。多くの投稿をいただき、ありがとうございました。
投稿作品の中から優秀作を選び、「AERA dot.」で順次紹介していきます。記事の最後には、鎌田倫子編集長の講評も掲載しています。
ぜひご覧ください!
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その人を代表する情報と言えば、最初は見た目。服装や髪の色、仕草や話し方の全てが、その人を表している。
その次と言っていいのが、名前ではないだろうか。
人間、十人いれば十人の名字と名前が存在する訳だが、名字のイメージというものは意外とないようであるもの。
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特に沖縄出身の方の名字、例えば具志堅や比嘉、金城や大城といった沖縄を代表する名字を聞けば、絶対に次のような質問が頭に浮かぶ。
「沖縄の方ですか」
名字はその人の地元であったり、先祖のルーツを象徴している。
私の場合、五十嵐という名字は新潟に行くと非常に多い。私の父が新潟出身者だった。
そんな父の名字を、どうして私はいまだに残しているのだろう。今回、このテーマを書くことで疑問を抱いた。
私は父がとても恐かった。
物心ついた時から、父は暴力を振るう人だと認識していた。
父の機嫌をとる事に、毎日集中しなければいけなく、そのせいでいつも自分の事は二の次。今日一日が、どうか無事に終わりますようにと願っていた少女だった。
早く父から離れたいと、大人になる事を急いでいた。
それから高校三年生になり、暴力をずっと我慢していた母がやっと離婚を決意した。お金や生活の事も含めて我慢していたのかもしれない。
やっと自由になれる。
そんな思いを抱きながら高校を無事に卒業し、父と離れられる生活環境になっていった。