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あんな事があっても、母は父の名字のまま過ごしていくと決めた。私と別の名字になりたくなかったからだ。
いろんな手続きの場所で、親子の名字が異なるだけで、この国は違和感を覚える。いまだ夫婦別姓も認めてはもらえない現実と同じ。
あれから二十年以上たつが、母も私も五十嵐のまま。この名字がある限り、父を忘れることが出来ないのに、どうして父の名字を私は残したのか。

もしかしたら、忘れてはいけないからかもしれない。父と離れたいと思ったあの日から父と会っていない。会ってしまえば、また幼い頃の私に戻ってしまう。父の顔色を窺って機嫌をとり、ずっと緊張の休まらない自分に疲れてしまう。
会わないという行動は、やっと自分で手に入れた。でもそれは、父側からすれば勝手に縁を切られ、寂しさもあるかもしれない。第三者にこの話をすれば、私は親不孝者だと言われてしまうのかもしれない。
だからその分、父の名字を残すことは、あなたを忘れている訳じゃないという証なのかもしれない。

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名字というものが、運命の赤い糸のような存在である事に、今回気づかされた様な気がした。どんな家族にも存在し、家庭を結びつけている。

いつか夫婦別姓が出来るようになって、子供が親の名字を選べる世の中になったら、名字の赤い糸は一本ではなく二本に増え、多様性と多文化の考え方が、もっともっと出来たらいいのに。
 

「AERA dot.」鎌田倫子編集長から

夫婦別姓になったら家族の絆が薄れてしまうという反対意見があります。名字に関していろんな意見を見聞きしてきましたが、五十嵐さんの考え方は新鮮でした。

ご自身の体験を通じて名字という名前に結びつくものに「縁」があると実感しつつ、でも「同じ」じゃなくてもいい、夫婦別姓で赤い糸が二つに増えるという考え方にハッとさせられました。
 

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