あるいは、「かゆい」も「くすぐったい」も、中国語ではどちらも「癢(ヤン)」である。実際にはかなり異なる感覚なのに、中国語では同じ感覚としてまとめられているなんて、今思えば不思議だが、日本語を習得していなければその不思議さにも気づかなかったのだろう。「搔癢(サウヤン)(『隔靴搔痒(かっかそうよう)』の『搔痒』と同じ字だ)」という言葉は「かゆいところを引っ搔く」という意味もあるが、「くすぐる」という意味もある。一応、曖昧性をなくして前者を「抓癢(ジュァウヤン)」、後者を「呵癢(ハーヤン)」と言う表現も存在するが、それにしても紛らわしい。英語では「肩凝り」という概念がないとよく言われる。しかし当然、英語話者は肩が凝らないというわけではない。では英語で肩凝りは何と言うかというと、端的に「pain(痛み)」である。中国語では「肩凝り」は「肩膀痠(ジェンバンスァン)」と言うが、この「痠(スァン)」はかなりトリッキーな表現だ。味を表す「酸(スァン)(酸っぱい)」とは同源だろうが、肩が「酸っぱいような痛みを覚える」すなわち「肩凝り」なのだ。「痠」という表現は肩凝りだけに使われるわけではない。腰が痛いことを「腰痠(ヤウスァン)」と言い、歩きすぎて足が痛いことを「腿痠(トゥエスァン)」と言う。およそ筋肉痛のような痛みは、中国語では「酸っぱい痛み」として捉えられる。どの言語を話そうと人間の身体は同じはずなのに、「かゆい」「くすぐったい」「肩凝り」「腰痛」といった身体感覚の捉え方が言語によって違うのは面白い。

 身体感覚と同じで、感情の捉え方もまた異なる。日本語の「切ない」「やるせない」「やりきれない」「もどかしい」「歯がゆい」「面はゆい」「こそばゆい」「微笑(ほほえ)ましい」といった心的動きを表す形容詞は、中国語ではなかなか完璧な対訳が見つからない。日中辞典を引くとそれなりに翻訳が出てくるが、どちらの言語も分かる人からすれば、どの訳語もしっくり来ない。同じ人間なので中国語話者にはこれらの感情がないというわけではないが、日本語とは異なる仕方で感情を切り分けているのだ。もちろん、中国語にしかない感情の表現もある。「委屈(ウェイチュー)」という言葉は日本語ではなかなか言い表せない。強いて説明するならば「不当な待遇を受けて不平不満に思ったり、悔しい思いをしたりする」といったところだろう。

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