
こんなことがあった。ある男性のお客さんの商品をスキャンし、代金を受け取ってお釣りを返した後、私は、
「袋に入れますか?」
と訊(き)いた。「大丈夫です」とお客さんが答えた。
一秒くらい経ってから、お客さんはふと、
「すみません、&%$#ください」
と言ってきた。
その「&%$#」が私には聞き取れなかった。何かを所望しているのは明らかだが、その何かが分からないのだ。お客さんが発した「&%$#」という言葉は、私には「ラッパ」に聞こえた。ラッパ? 脳内の単語帳を検索し、漢字に変換しようとした。「ラッパ」と言えば「喇叭」しか思いつかない。しかし当然ながら、コンビニに喇叭など置いていない。ひょっとしたら私には分からない別の「ラッパ」があるのではないか? 商品名なのか? それともそもそも聞き間違いなのか? 聞き間違いだとしたら、お客さんの真意は何なのか? ラップ? ラップなら置いてあるが、欲しかったら自分で棚から取ってくればよくて、わざわざ私に言う必要はないだろう。あるいはラップではなく、カップ? コップ? タッパー? ラッパー? 河童(かっぱ)?
どうすればいいか分からず、私は立ち尽くしたまま、隣で見ていた店長に助けを求めた。
「すみません、日本語が聞き取れなくて……」
すると、店長はただ淡々と、「袋に入れてあげて」と指示しただけだった。
謎が解けた。そのお客さんが言ったのは「やっぱください」だった。「やっぱ袋をください」という意味だったのだ。「〜ください」という文型から、私はてっきり「&%$#」の部分が名詞だと思っていた。しかしお客さんが言ったのは副詞だった。「やっぱ」と「ラッパ」はたった一音しか違わないのに、その一音を間違えると全体的に聞き取れなかった。
またある時、一人の女性のお客さんはレジが済んだ後、私に話しかけてきた。
「%$&#%&$%#$&$%?」
ヤバい。完っ璧に、まったく、全っ然聞き取れなかった。当時店内が混雑していて騒がしかったせいもあるが、これほど何ひとつ情報が聞き取れないことって、ある? これでも日本語を六年間勉強してきて、能力試験の最上級に合格している身なのだけれど?
私はまた店長に助けを求めた。すると店長は悠然と構えて、「彼女とどっかで会ったことあるんじゃないの?」と言った。
要するにこういうことだ。その女性のお客さんは早大の学生で、私と学内イベントで会ったことがある。しかし相貌失認を疑うほど人の顔を覚えるのが苦手な私は、彼女の顔を覚えていなかった。ところが向こうは私のことを覚えていて、私であることに気づき、話しかけてくれたのだ。彼女が話した内容は恐らく「こないだ○○のイベントで会った李琴峰さんですよね?」みたいな感じだったが、仕事に集中していた私はプライベートの会話であるという発想がなく、それゆえ見事に何も聞き取れなかった。
いくら教科書で勉強していて、試験で高得点を取ったとしても、実際に職場で使おうとなるとうまくいかないことのなんて多いことか。自分の能力の限界を、コンビニのバイトで突きつけられた気がした。