後付け、強者の論理

 自戒を込めてだが、「覚悟」と言いたくなったときは、そのことに意図があるはずだと考えている。

 たとえば、

 何を得ようとしているのか?

 何から逃げようとしているのか? 

 誰の口を塞ごうとしているのか?

……などなど、考えたほうがよさそうだ。

 思うに、「覚悟」というのは、事後的に(結果的に)、うまくいった人が、後付けで状況を肯定する際に、使いやすいのではないか? と考えている。うまくいけば、「覚悟を決めていた」人であり、うまくいかないと、「覚悟が足りない」人になる。生存者バイアスを肯定してくれる便利ことばと言ってもいいかもしれない。

 その可能性が拭えない限りにおいて、「覚悟」なんて言うのは、せめて、自分語りをする際だけに、使用をとどめておいてもらいたいと思う。

「能力」のごとく、捉えどころのない大きすぎることばなのだから、間違っても、人に問うたり、ましてやそれをジャッジメンタルに「覚悟が決まっていない」「覚悟が足りない」などと上から評して、わかった顔をしては、事を見誤るのではないか。

次のページ
線虫検査から考える「覚悟」